新約聖書の「マタイによる福音書」に「山の上にある町」というくだりがある。
〈あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることが出来ない。また、明かりをつけてそれを桝の下に置く者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。そのように、あなた方の光を人々の前に輝かし、そして、人々があなた方のよい行いを見て、天に居ますあなた方の父を崇めるようにしなさい〉
このマタイ伝に示された「山の上の町」は、米国の建国期にピューリタンの指導者が新たな社会の理想として引用した、いわば「米国」という新興国家の祖型である。
そこに生きるすべてのものを輝かせる「丘の上の町」は、家と地域社会、そしてそれを包み込む新しい〈国家〉としての「米国」の暗示と見立てたのである。
障害を抱えたクリスティー-ナが振り返って眺めている彼方の「家」という構図に、ワイエスがそのような宗教的な意味を託したという解釈が、この絵には可能であろう。
無駄のない美しい構図の背後に漂う微かな不穏の気配は、振り返るクリスティーナの「痛み」と彼方の丘の上の「家」を結んだ空間の緊張感からやってくる。生まれついて身体に障害を持ち、腕を使って這いながら移動するのが日常の少女が、不如意な体を折り曲げて「丘の上の家」を見つめる姿に、画家のまなざしは人生の宿命をとらえた。
ワイエス自身も、病弱で孤独な少年期を送った。クリスティーナから受け止めた密かな啓示に動かされて、画家は以降彼女が死去する68年まで、30年にわたって彼女をモデルとして描き続けた。その作品は200点以上に及んでいる。
ちなみに『クリスティーナの世界』で描かれた「丘の上の家」はメーン州クッシングにあり、国指定歴史建造物「オルソン・ハウス」として今も保存されている。
文明の騒音を避けていた画家が出会った女性
〈クリスティーナのさまざまな肖像には著しい変化がみられる。なかには同一人物とは思えないものもある。その背後にはいつも私たちが体験した不思議な関係、完全に自然な関係、言葉少ない、素晴らしい心の交流がある〉
ワイエスはクリスティーナとの30年を振り返って、このように語っている。
それならば、〈ヘルガ〉との秘められた15年は画家にとってなんであったのか。
ワイエスは「ヘルガ」を描き始める以前から、クリスティーナだけではなく、隣家の農場主のカール・カーナーとアンナ夫妻、フィンランド人とネイティヴアメリカンとの混血の友人、ウォルター・アンダーソン、やはり近隣に住む14歳の少女、シリ・エリクソンといった、田園に暮らす無名の隣人や知人たちをモデルにしている。
連作〈ヘルガ〉のモデルとなるヘルガ・テストーフも、孤立した田園の生活のなかでたまたま出会った、近隣の農家の平凡な主婦である。
この女性に惹かれてモデルに迎え、彼が描いた最初の作品は71年の「最初の素描」である。豊かな髪を後ろに束ねたヘルガの横顔は、ここでは理性的な落ち着きを漂わせて描かれている。
