そこから画家は、荒涼とした農村の風景のなかに生きる〈ヘルガ〉という中年の女性の内面と肉体を、あたかも解剖医のような手さばきで描き続けた。かつて障害を抱えるクリスティーナという娘へ寄せたワイエスの同情的でいささか感傷的なまなざしとも、それは異なる。
米国の辺境ともいうべき農村の片隅で、文明の騒音を避けて生きてきた画家が、老いの坂を上る途上で出会った〈ヘルガ〉という女性が漂わせる孤独で逞しいエロスに導かれて、15年にわたる秘められた連作を生んでいったのである。
画家が敬愛した「森の詩人」ヘンリー・ソローは、ウォールデン湖のほとりの田園に自力で小屋を建て、ひとり思索と労働と自然への観察の日々を過ごした。
著書の『森の生活』のなかでソローが紹介しているこの詩は、画家とモデルという関係を通してワイエスとヘルガが結んだ田園の理想郷をうたっているかのようである。
〈景色かな、その豊かな自然は
汚れなき、わずかに漂う陽の光
酒宴に馳せる者はなし
汝が垣根に囲まれる草原に。
口論の相手もなく、
煩悩に悩むことなし。
初見今も変わらぬ柔順も。
質素なあずき色の上衣を身に纏い。〉
(エレリー・チャニング『ベイカー農場』)
深遠なものは、アメリカの田舎にある
〈ヘルガ〉の連作のなかで、71年に描かれた『白昼夢』という裸体画をめぐって、ワイエスは次のように言及している。
〈技術だけに関心を持つことは浅はかなことだ。自分が死ぬまでに、今まで抱いてきたよりもっと深い感情をもてるなら、もっと力強い絵が描けるだろう。それは技術とは何の関係もない。それを超えたものだ〉
これはワイエスが〈ヘルガ〉の連作をめぐって、単なる「肖像画」や「風景画」の《技術》を超えた《ナラティブ》、つまり「画家の物語」として描く、という強い意図を示した言葉と受け止めてよかろう。画家は米国の片隅の農村の一隅に生まれた、(ヘルガ)という平凡な農婦のモデルとの邂逅を、秘められた(物語)として描いたのである。
画家はこんな言葉を残している。
〈なぜアメリカの風景を描くのか、と人は言う。そこには深さがない、深さを知るにはヨーロッパに行かなければ、と。私にとってそれは意味のないことだ。深遠なものを得たいと思ったら、アメリカの田舎にこそ、それがあるのだ〉
文明の飽和点として20世紀の米国美術を眺めれば、アンディ・ウォーホルやジャクソン・ポロック、あるいはジャスパー・ジョーンズといった、爛熟する消費社会の美の冒険者たちが描いた、はなやかなポップアートや抽象画が浮かび上がる。
しかし、ワイエスが描いた〈ヘルガ〉の静謐の世界もまた、紛うことなく〈20世紀のアメリカ〉の偽りのない姿なのである。

