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絵画のヒストリア㉗
2025/11/16 柴崎信三神戸市中央区野崎通り、現在は新神戸駅がある高台につらなるこの屋敷を施主の美術蒐集家、池長孟は「紅塵荘」と名づけた。池長孟が蒐集した「南蛮美術」と呼ばれる絵画や屏風、家具調度などの美術品をおさめられている。
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絵画のヒストリア㉖
2025/09/28 柴崎信三江戸時代の都市では、戯作や花柳界を舞台にとった歌麿らの浮世絵らが人気を集めており、メディアの表現の領域が広がっていた。しかし、寛政の改革に伴う出版統制が憂き目を与える。版元である蔦重こと、蔦屋重三郎にもその影響は大きく及んだ。
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絵画のヒストリア㉕
2025/08/10 柴崎信三新しい映像の衝撃をもたらした映画監督のジャン=リュック・ゴダールの作品『気狂いピエロ』は戸惑いと批判と失望に渦巻かれたが、現代美術のコラージュに相当するとの評価も得た。この映画の終章に重ね合わされたのがニコラ・ド・スタールの作品である。
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絵画のヒストリア㉔
2025/07/06 柴崎信三画家のトゥールーズ=ロートレックが『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』というポスターを描いて評判になった。劇場や競馬場、サーカス、カフェといった世紀末のパリの街角に生きる男女の風俗を軽やかに、そしてある種の苦みを漂わせて描き続けた。
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絵画のヒストリア㉓
2025/05/31 柴崎信三20世紀米国を代表する写実画家、アンドリュー・ワイエスは平凡な日常を生きる農婦のヘルガを15年にわたってモデルとした。2人の秘められた日々をメディアは「世紀の密会」と呼んだ。それは〈片隅のアメリカ〉の「暗黙の物語」だったのかもしれない。
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絵画のヒストリア㉒
2025/05/05 柴崎信三昨年102歳で逝った画家の野見山暁治は画家を志しながら、基礎的な訓練の石膏デッサンが好きではなかった。厚塗りのリアルな風景や人物の〈かたち〉から、奔放な明るい色彩が躍る自然や心象の抽象的な造形へと、作風を大きく変えていった。
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絵画のヒストリア㉑
2025/04/21 柴崎信三パリで日本から輸入された北斎や広重らの浮世絵をはじめ、日本の美術工芸品が人気を集め、空前のジャポニスムブームを広げていた中、ゴッホの想像力を駆り立てたのは疑いない。どれほど日本趣味の虜となっていたかは作品を見れば一目瞭然である。
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絵画のヒストリア⑳
2025/03/09 柴崎信三1347年から52年にかけて、地中海一帯を襲ったペストは常識を大きく変えた。思いがけない「死」は木版画や壁画などに各地で頻繁に描かれた。20世紀になってのちも、パンデミックは芸術家の美意識と生死観を動かす重要なモチーフとしてあり続けた。
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絵画のヒストリア⑲
2025/02/09 柴崎信三「棟方版画」として世界から喝采を得た棟方志功氏は、太宰治、保田與重郎、柳宗悦、谷崎潤一郎といった作家や詩人へ自分を押し出して人の心に分け入り、いつの間にか味方として、様々な作品を生み出していった。
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絵画のヒストリア⑱
2025/01/04 柴崎信三「第一回印象派展」の中心人物の一人で、〝異質〟ながらも優美な描線と色彩が繰り広げていた画家のエドガー・ドガは、冤罪事件に激しく動揺される。「反ユダヤ的な芸術家」という刻印が没後にいたるまで、「踊り子の画家」につきまとうことになった。
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絵画のヒストリア⑰
2024/11/24 柴崎信三モネの連作『睡蓮』が繰り広げる〈美の饗宴〉は、フランスの政治家、クレマンソーとの間に結ばれた古い絆を抜きにして語れない。これが日本の国立西洋美術館で展示されたのは、実業家である松方幸次郎の存在も大きい。
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絵画のヒストリア⑯
2024/11/03 柴崎信三森鴎外は留学先のミュンヘンで出会った日本人画家、原田直次郎が才色にあふれた女性との恋を素材に『うたかたの記』を書いた。たまたま当地で遭遇した国王ルートヴィヒ2世の不可解な溺死という事件が、大きな飛躍へのモチーフをかたち作った。
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絵画のヒストリア⑮
2024/10/06 柴崎信三レオナルド・ダ・ヴィンチは生まれ持った美しい器量と才知、自然への鋭い洞察と怜悧なまなざしを持つ万能の天才だからこそ、故郷のフィレンツェを追われ、各地を渡り歩くことになった。きらびやかな才知の遍歴のはての哀歓は、晩景にも表れる。
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絵画のヒストリア⑭
2024/08/31 柴崎信三画家を志し美術学校に通い、ウィーンの美術アカデミーを二度受験しながら「知力貧弱」「デッサン不可」で失敗した名もない青年、アドルフ・ヒトラー。ナチスの政治活動に加わりドイツの総統になった彼が1937年夏、「美の都」で二つの美術展を開いた。
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絵画のヒストリア⑬
2024/08/04 柴崎信三長谷川潾二郎は戦争を挟んで〈昭和〉を生きた画家である。世塵から離れて静物と猫と穏やかな風景ばかりを描き続けた。ほとんど波乱のないその歩みと寡作といわれる作品を見れば、静謐と孤高に生きた画家と呼ぶのがふさわしい。
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絵画のヒストリア⑫
2024/07/14 柴崎信三ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロの『メヌエット(カーニバルの光景)』は、ヴェネツィアのカーニバルの一場面を描いている。文豪・ゲーテは、この街が醸し出す情念のカオスのような眺めが新鮮で心が躍り、ここに蔓延る詐欺師たちに終生取りつかれる。
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絵画のヒストリア⑪
2024/06/02 柴崎信三15世紀末葉、金融や交易などを通して遠くオリエントにまで影響力を広げたメディチ家。若い当主兄弟を襲った「パッツィ家の陰謀」を機に、権力闘争が繰り広げられ、「美の復讐」が繰り広げられた。
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絵画のヒストリア⑩
2024/05/12 柴崎信三戦後、〈故郷喪失者〉として異郷で画家としての人生を歩んだ藤田嗣治と国吉康雄。対照的とも言えるキャリアを歩んできた二人の日本人画家の足跡は、どこかで歪みながら奇妙な相似形を描いているようにも見える。
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絵画のヒストリア⑨
2024/04/07 柴崎信三戦間期のパリの街にはその美の輝きを求めて米国や欧州各国から才能を恃んだ多くの若い芸術家たちが集っていた。後年のヘミングウェイが振り返って「移動祝祭日」と呼んだのは、それがまさしく祝祭の華やぎと興奮に包まれた日々であったからであろう。
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絵画のヒストリア⑧
2024/02/25 柴崎信三今でも人々に語り継がれる三島由紀夫の自決は「聖セバスチァン」という古代ローマの青年の殉教の場面と重なり、その伝説を戯曲化して自らも祖国のための蹶起した20世紀のダンヌンツィオという〈英雄〉の舞台とも重なる。周到な「舞台」はどう作られたか。
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