1515年の12月、フランス王フランソワ1世がミラノ公国を占領したとき、王を遇するためにローマ教皇レオ10世がボローニャで催した和平の会見に余興を求められて、ミラノ公の〈食客〉だったレオナルド・ダ・ヴィンチは一興を案じた。
市庁舎3階のフェルネーゼの間でフランソワを出迎えたのは、なんとレオナルドが作った精巧な自動人形の獅子であった。
ぜんまい仕掛けの鋼鉄製の獅子は大広間の貴顕の間を走り抜けると、王の前で立ち止まり、後ろ足で立ち上がって表敬した。やがて獅子の胸が開いて、そこからたくさんの白百合の花が振りまかれた。一同は大いに喝采した。
獅子はレオナルドの故郷、フィレンツェの紋章であり、白百合は占領国フランスの国花である。美術から建築、数学、天文学にいたるまで、あらゆる分野にほとばしるような叡知を開花させた天才児は、この時63歳になっていた。
ミラノのスフォルツァ家の庇護のもとに置かれていたレオナルドが、占領国となったフランスのフランソワ1世を迎えて仕組んだ破格の歓迎の演出が、この機械仕掛けの獅子の表敬だった。万能の天才が故郷のフィレンツェを追われ、各地を渡り歩いてミラノのスフォルツァ公のもとで過した晩景を彩る挿話は、きらびやかな才知の人を包んだ遍歴のはての哀歓を、くっきりとした陰影のなかに浮かび上がらせる。
すでに少年期のレオナルドが動物や機械を使った玩具を作り出すことに情熱を燃やしたことを、少し下った時代の伝記作家のジョルジョ・ヴァザーリは『芸術家列伝』のなかでこんな風に書き残している。
〈レオナルドは自分のほかには誰も入れずに部屋に閉じこもり、蜥蜴、こおろぎ、蛇、ばった、蝙蝠といった奇妙な動物を集め、いろいろ組み合わせて、大変奇怪な怖ろし気な動物をつくりだし、その動物が吐く息で空気を毒し、火を噴くようにし、暗くくだけた岩から這い出るところを描いた。開いた喉からは毒気を放ち、目からは火、鼻からは煙を吹く、奇妙かつ怪異な、恐ろしい姿であった〉(田中英道訳)
この少年が63歳になって、なお機械仕掛けの獅子の人形という「玩具」にこれほどの傾けた情熱は、どこからやってきたのだろうか。
後年、精神医学者のジークムント・フロイトはこう記している。
〈偉大なレオナルドは一生涯多くの点で概して子供っぽかった‥‥。彼は成人してからも遊戯を好んだし、またそのために彼の同時代人に不気味な、理解しがたい人間と思われたこともいくどかあった。彼は宮廷に祝いごとのある時や、はなばなしい接見日などのために、極めて精巧な機械玩具をつくった〉(『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』高橋義孝訳)