2025年1月6日(月)

絵画のヒストリア

2025年1月4日

 「ドレフュス事件」が起きた1894年、画家のエドガー・ドガは60歳だった。

 「奇妙な男、病弱で、神経質で、眼病患者、視力を失うことを常に恐れている。しかし、まさにこの点によって極度に感じやすい人間」。同時代の作家、エドモンド・ゴンクールが評したそのころのドガは、すでに屈託した老いの坂の途上にあった。

ドガ「自画像」(1855年頃)油彩・カンバス パリ、オルセー美術館蔵(エドガー・ドガ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

 バレエの踊り子たちの美しい群像で知られた画家はその10年前、寄る辺ない晩年の不安を友人の彫刻家にあてた手紙のなかで憚るところなく記している。視力の低下に伴う身体の失調が画家の老いの憂いを募らせ、表現への自信を揺るがせていたのだろうか。

ドガ「エトワール」(1878年頃) 油彩・カンバス)パリ、オルセー美術館蔵(エドガー・ドガ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

 〈ああ、あれほど自分が強いと思っていた時期、論理と計算に充たされていた時期はどこへ行ったのだろう。私はあっというまに斜面を降り、包装紙に包まれたような下手くそなパステル画にくるまれて、どこへともなく転がり落ちてゆく〉(アンリ・ロワレット『ドガ―踊り子の画家』遠藤ゆかり訳)

 だから、ユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスの冤罪事件に画家が激しく動揺し、ユダヤ人排斥の激情を爆発させたのは、老いがもたらす画家の不安の代償だったのかもしれない。

アルフレド・ドレフュス(1894年頃)(Aron Gerschel, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

 敵国ドイツに国家機密を提供したとして、1894年にスパイ容疑で逮捕されたフランス陸軍参謀本部大尉のアルフレド・ドレフュスは、終身禁固刑を下されて仏領ギアナ沖の離島に収監された。しかしその後、機密漏洩の「真犯人」に陸軍少佐、エステルアジが浮上、軍法会議にかけられたものの、沸き立つナショナリズムと「反ユダヤ」の世論に押されて軍部は再審を見送り、「無罪」を言い渡されたエステルアジは英国に亡命する。

 一方、冤罪が明らかになった獄中のドレフュスが特赦でようやく釈放されるのは1899年、無罪判決が下るのは事件が起きてから実に12年後の1906年であった。

 事件を背景にしたドガと古い友人との〈訣別〉は、起こるべくして起こった。1897年11月25日のことである。

 ドガは若い日から家族のように親しんできたドイツ系ユダヤ人の画家、リュドヴィック・アレヴィと夕食の席にいた。ドガを崇拝する息子のダニエルら数人の若者が同席していて、話題はおのずから冤罪の疑いが強まっていた「ドレフュス事件」に及んだ。

〈ドレフュス事件〉を主題にした映画『オフィサー・アンド・スパイ』(ロマン・ポランスキー監督、2019年)AmazonDVD販売ページより

 ドレフュスの冤罪が明らかになり、エステルアジという「真犯人」が浮上して世論が沸騰する時節であってみれば、食卓の話題がそこに向かうのは自然の流れであろう。ドガを囲む食卓で暗黙の〈禁忌〉であったそれを若者たちが論じはじめると、ドガの表情が一転した。

 ダニエル・アルヴィがその場の情景を記している。

 〈嫌な雰囲気を感じて、私は彼の顔をじっと見ていた。彼は口を閉ざし、たえず視線を上に向け、まわりの人びとと距離を置いているかのようだった。それはわれわれの理知的な言葉によって侮辱された軍隊、彼がその伝統と美徳を非常に高く買っていた軍隊に対する弁護だったのだろう。閉ざされた口からはひとことも言葉は発せられず、食事が終わるとドガは姿を消した〉(同)

 63歳のドガは翌日、アレヴィの妻のルイーズにあてた手紙に「私をそっとしておいてください。思えばたくさんのすばらしい時間を過ごしました。あなたの少女時代からのわれわれの愛情は、これ以上長引かせれば駄目になってしまうでしょう」と書いた。


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