2025年1月7日(火)

絵画のヒストリア

2025年1月4日

「証券取引所にて」という表象

 印象派の画家たちが「ドレフュス事件」に際して取った反応はさまざまだった。

 作家のエミール・ゾラが「私は弾劾する」という論文を新聞に発表して、ドレフュスの無実を訴え、冤罪を押し通す軍部を激しく糾弾すると、ユダヤ人のピサロはモネとともにそろってドレフュス支持を鮮明にした。シニャック、ヴァットロン、メアリー・カサットらもこれに同調した。

 一方、セザンヌやロダン、ルノワール、そしてドガは「反ドレフュス」の立場をとった。画壇はこの事件で二分されたのである。

 ドガのユダヤ人に対する偏見はもともと根強くあった。画商のヴォラールは回想のなかでこのようなエピソードを伝えている。

〈ドガ もう君には用はないよ。

モデル でも先生は、私のことを、ポーズをとるのがうまいと、いつもおっしゃっていたではありませんか。

ドガ それはそうだが、君はプロテスタントだからね。プロテスタントとユダヤ人はドレフュス事件に関係があるんだ〉

 ドガが内面に抱えたユダヤ人に対するこうした感覚は作品にもあらわれる。

 1879年の「舞台の上の友人たちの肖像」はドガの幼馴染の親友で、ドレフュス事件を機に訣別する作家のルドヴィク・アルヴィとプーランジェ・キャヴェが、オペラ座の舞台のそでで向き合って話している場面である。

 山高帽に黒のコートで雨傘をステッキにしたアルヴィの姿は、どこか所在がなさそうでもあり、ドガの視線はユダヤ人の孤独なたたずまいを通して彼らとの「友情」のゆくえをみつめているようにも映る。

 もっとあからさまに「ユダヤ的なもの」を時代の空気のなかに描いているのが、1879年の「証券取引所にて」である。

 ここに描かれているのはユダヤ人の銀行家で、投機家だったエルネスト・メイで、やはり山高帽に顎髭をたくわえて後ろを振り返ろうとしている。背後の男が親し気に肩に手をかけて、相場の情報をひそひそと伝える。これは株式の売買の現場である証券取引所を舞台にして、モデルの身振りを通して投機という人間の行動の瞬間をとらえたという点で、オペラ座のバレエの踊り子を描いたドガの作品ともつながっている。

 それ以上に、この絵が観者に働きかけているのは、同時代の金融取引という経済行為が映し出す「ユダヤ的なもの」へ向けたドガのシニカルなまなざしである。

 ドガは印象派のなかでもユダヤ人のカミーユ・ピサロをはじめ、少なくないユダヤ系の友人たちとはそれなりの親しい交友関係を持続していた。しかし、1894年のドレフュス事件を境に次々と断ち切った。この「現代生活の古典画家」が拠り所としてきた伝統的な美意識への危機感が、「ユダヤ人排除」の決断を促したのであろうか。

 〈しかし、もはや誰もいない‥‥。君主も、偉大な司教も、全能の領主たちもいない―自分のための宮殿、庭園、教会、墓所、宝石や家具、誇りのための、悔恨のための、娯楽のための記念物、貴重でもあり独創的でもあったそうしたものをつくらせる力をもっていた人々は、もはやいないのだ〉

 ヴァレリーは「ドレフュス事件」でドガが直面した「時代」の変容を、このような眺めのなかに読み解いている。

 視力を失い、交友を絶って孤独に閉じこもるようになった晩年のドガをある日、画商のヴォラールが晩餐に誘うと、一人暮らしの気難しい老画家はこう返事した。

 〈もちろんお邪魔するよ、ヴォラール。ただ、いいかね、バターを使わない料理を私のために用意してくれるかい。テーブルの上には花を置かず、7時半ちょうどに始めること。猫は閉じ込めておいてくれ。誰も犬は連れてこないだろうね。女性が来るなら香水はつけてきてほしくないよ‥‥ああ、明かりは弱くしてほしい。私の目はまったくあわれなものだから!〉

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