2025年1月4日(土)

田部康喜のTV読本

2025年1月1日

 芝居のなかで喜劇がもっとも演じるのが難しいといわれる。逆にいえば、喜劇俳優はシリアスな演技ができるということである。

 NHK大河ドラマ『光る君へ』のなかで、有職故実に通じた学識人として道長の信頼が厚い、藤原実質を演じたお笑いトリオ「ロバート」の秋山竜次が最近では記憶に新しい。

 若い読者にはなじみがないだろうが、映画『飢餓海峡』(水上勉原作、内田吐夢監督、1965年)の老刑事役を演じた喜劇役者の伴淳三郎や、『どですかでん』(黒澤明監督、1970年)における貧しい子どもが多い夫役のお笑い・てんぷくトリオの三波伸介らがいる。

「悪の華」となる河合優実(映画『ナミビアの砂漠』公式ホームページより)

 横浜流星や河合優実、永野芽郁、八木莉可子……。ブレイクからトップスターへの階段を上っていこうとしている俳優たちは、コメディアンやコメディアンヌの演技とともに、「悪の華」となることを求められる。

 それは、演技している役柄が悪人というわけではない。ピカレスク・ロマン(悪漢小説)とも異なる。正義を秘めた悪とでもいったらよいだろうか。閉塞感が漂う現代のなかで、スターに求められている。

 『悪の華』はボードレールの詩集から引用するのがわかりやすいかもしれない。近代人の『神曲』とまでいまいわれている作品は、発刊当初は批評家からほとんど関心を払われなかった。

 われわれが心を占めるのは、われらが肉を苛(さいな)む
 暗愚と、過誤と、罪と吝嗇(けち)
 乞食が虱を飼うように
 だからわれらは飼いならす、忘れがたない悔恨を。
 われらが罪は頑(かたく)なだ、われらが悔(くい)は見せかけだ。
 思惑があっての告白だ、
 だから早速いい気になって、泥濘道(ぬかるみち)へ引き返す、
 空涙(そらなみだ)、心の汚(けがれ)はさっぱりと洗い流した気になって。
堀口大學訳・2023年6月刊、新潮文庫・69刷(今日ではふさわしくない言葉もあるが訳にまかせた)

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