アルマ・マーラー。
交響曲「大地の歌」などで知られる大作曲家、グスタフ・マーラーの妻であり、その美貌と知性でウィーンの社交界の華と呼ばれた女性である。マーラーの没後も画家のオスカー・ココシュカ、建築家のヴァルター・グロピウス、作家のフランツ・ヴェルフェルを次々と伴侶に選んで彼らに霊感をもたらし、その創造活動に少なからぬ影響をもたらした。
19世紀世紀末から20世紀のはじめにかけて、ハプスブルク帝国の崩壊に伴いきらびやかなモダニズムが台頭する古都ウィ-ンにあって、アルマはまさに芸術家たちの美神(ミューズ)であり、また運命を手玉にとる〈ファム・ファタル(運命の女)〉、魔性の女でもあった。
画家のグスタフ・クリムトは、そのアルマがまだ15歳のときに見いだした最初の偶像であり、はたまた彼女の強い自己愛を映す最初の鏡であった、というべきかもしれない。
〈クリムトはその集会の最初の議長であった。この若造のクリムトと私が知り合ったのも、この秘密の集会のある席上においてであった。彼はとくべつ天分の豊かな人物で、三十五歳、溢れんばかりの気力、すばらしい感覚、その当時すでに名声をあげていた。彼の美しさと私の生き生きとした若さ、彼の独創力、私の才能、私たち両者の生活にみられる音楽にたいする非常な感受性、こうしたことが私たちにおなじ音を響かせるようにしたのであった〉(アルマ・マーラー『わが愛の遍歴』)
アルマは宮廷画家のエミール・シンドラーと音楽家のアンナ・ゾフィー・フォン・ベルゲンという芸術家の両親の下に生まれた。父親の没後に再婚で義父となった弟子のカール・モルがクリムトと同じ「ウィーン分離派」という新たなモダニズムの集団に属していたことから、自宅は若い芸術家たちのサロンのような空気に包まれていた。
すでに新進画家として名を知られるようになっていたクリムトはこの早熟な少女に熱を上げ、1897年の夏には家族旅行先のヴェネチアまでを追いかけていって両親の知るところとなるという、ストーカーまがいの事件まで起こしている。
