2025年12月21日(日)

絵画のヒストリア

2025年12月21日

性や美意識をめぐる〈カオス〉

 19世紀半ばに人口が50万人に満たなかったウィーンは、それから50年の間に200万人を超える大都市となった。市域の拡大とともに、皇帝フランツ・ヨーゼフがユダヤ人の宗教儀礼や土地所有を認め、1867年にはオーストリア=ハンガリー帝国がユダヤ人の移動の自由を認めたことから、ボヘミアやハンガリーなどの周辺からユダヤ人の大量流入がはじまった。19世紀半ばにウィーンの人口の1.3パーセントにすぎなかったユダヤ人口は1890年に12パーセントに達し、その中には裕福な金融業者や知識階級も含まれていた。

 ハプスブルク王朝のもとで築かれた伝統的な秩序や価値観を打ち破って、クリムトとその仲間たちが繰り広げる自由で奔放な造形を支えたのは、そうした新興のユダヤ系のブルジョワたちであり、そこに生まれた彼らの〈新しい波〉には世紀末ウィーンに広がった性や美意識をめぐる〈カオス〉が反映されている。

 クリムトが1907年に描いた「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」は、現在米国ニューヨーク5番街86丁目のノイエ・ガレリエ美術館にある。

クリムト「アデーレ・ブロッホ=バウワーの肖像」 1907年 油彩・カンバス ニューヨーク ノイエ・ガレリエ美術館蔵(Gustav Klimt, Public domain, via Wikimedia Commons)

 琳派を思わせる、まばゆい金色の装飾に身を包んだこの女性の肖像は「黄金のアデーレ」とも呼ばれ、多くあるクリムトの女性像の中でもとりわけ華やかな霊気(オーラ)を伝えている。第二次世界大戦下、流転を重ねてウィーンのオーストリアン・ギャラリー(ベルヴェデーレ宮殿美術館)の至宝とされた。この絵のモデルのアデーレは20世紀初頭のウィーンの豊かなユダヤ系銀行家の娘で、夫も精糖業を営むユダヤ系の実業家だった。

 パトロンの妻や娘の肖像画はすなわち、この画家にとっての重要な支援と貢献に対する賛辞(トリビュート)を意味する。ところが同じアデーレをモデルに描いたという1901年の「ユディット1」は、伝説の「サロメ」を主題に大胆に乳房をのぞかせて恍惚の表情を発散する女性の半身が、艶やかな黄金のモザイク模様に包まれて浮かび上がる。クリムトの「黄金の女性像」のなかの代表作といわれるこの作品は、ほとんど〈スキャンダル〉と呼ぶにひとしい淫蕩な気配を漂わせている。

クリムト「ユディットⅠ」1901年 油彩・カンバス、ウィーン・国立オーストリア美術館蔵)(グスタフ・クリムト, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

 〈実際にはクリムトは美術アカデミーが提供する下層階級出身のモデルだけを選んでいたのではなかったこと、さらにその欲望は下層階級の女性たちだけでは満たされず、社交界の貴婦人にも向けられていたことが、今や明白となった〉

 『グスタフ・クリムト: 女たちを描いた画家』の著者、ズザンナ・パルチュは「画家と依頼人-クリムトとアデーレ・ブロッホ=バウワー」の中で、この画家が〈女性〉というモチーフに燃やし続けていた激しい情動をこのように読み解いている。この画家の描いた華麗な女性像の多くは、後援者のパトロネージ(芸術支援)への見返りにとどまらず、画家の性的な記憶のモニュメントだというのである。

 無秩序といってもいい性的な放縦の気分が画家のなかで熟成し、それが作品の中にあふれ出す。そうした条件は伝統と革新、道徳と退廃、貴族とブルジョワといった価値観がせめぎ合う、世紀転換期のウィーンの社会的な空気のなかにあったというべきかもしれない。

 この時代のウィーンに広がったデカダンスな思潮を象徴する一例が、裕福な同化ユダヤ人の作家、アルトゥール・シュニッツラーが書いたドラマ『輪舞』である。

 娼婦と兵士、小間使いの少女と若主人、裕福な人妻とその夫、処女、女優、詩人、伯爵と娼婦という、当時のウィーンの社会階層を背景にした5組10人の男女がオムニバス形式で円環をつなぐように繰り広げる性愛劇である。

 〈「でも、女房のある男を誘惑して不実を働かせても、君は格別なんとも思いやしないだろう?」「まあ、何をおっしゃるの。あんたの奥さんだって、きっとあんたと同じことをやってるわ」「おい、君、そんなことを言うのはおことわりするぜ。そんな言い草は」(シュニッツラー『輪舞』中村政夫訳)〉

 こんな調子で演じられる舞台はウィーンやベルリンで上演されるたびに世論の賛否の渦に包まれながら連日満員の観客で埋まった。そのあげく、劇場支配人や演出家、俳優が公然猥褻罪で起訴され、上演禁止の処分が下されるといった騒動が起きている。


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