2025年12月6日(土)

絵画のヒストリア

2025年8月10日

 『勝手にしやがれ』で鮮烈な新しい映像の衝撃をもたらし、一躍〈ヌーベルバーグ〉のトップランナーとなった映画監督のジャン=リュック・ゴダールが、次はどんな作品を発表するのか。ジャーナリズムはそのころ、彼の動向に熱いまなざしを注いでいたはずである。

 1965年8月のヴェネチア国際映画祭に出品された『気狂いピエロ』は、ゴダールの長編映画としては10作目にあたる。光あふれる南仏の海辺を舞台に、フランスで当時もっとも人気の高かった俳優のジャン=ポール・ベルモンドと、一時はゴダールと結婚していた新進女優のアンナ・カリーナが主演する逃亡劇とあって、大きな期待で迎えられた。

『気狂いピエロ』のジャン=ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナ(Photofest/アフロ)

 結果は散々だった。上映が終わると会場にブーイングが沸き起こり、戸惑いと批判と失望が渦巻いた。結局『気狂いピエロ』は賞の対象にまったくのぼらなかった。

 コンテを否定したような荒唐無稽な物語の運び、斬新というより破壊的なカメラワーク、それまでの映画文法を無視したような断片的な映像の流れが、観客をカオスに投げ込んだのである。ちなみにこの年のヴェネチア国際映画祭のグランプリは、イタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督の『熊座の淡き星影』が受賞している。

 ところが散々な評判は、しばらくして一転する。フランスのシュールレアリズムの詩人、ルイ・アラゴンが雑誌に書いた『気狂いピエロ』についての論評が端緒だった。

 詩集の『祝歌』や『永久運動』などでアンドレ・ブルトンとともにシュールレアリズムの文学運動の導き手だったアラゴンは映画祭のあと、フランスの雑誌「レ・レットル・フランセーズ」に「芸術とは何か、ジャン=リュック・ゴダール?」と題して『気狂いピエロ』論を寄せ、「今日の芸術とはジャン=リュックにほかならない」と手放しの賛辞を寄せた。そして20世紀を代表する映画作家として、チャールズ・チャップリン、ジャン・ルノワール、ルイス・ブニュエルとともに、ゴダールの名をあげたのである。

ジャン=リュック・ゴダール(1930-2022)Gary Stevens, CC BY 2.0 , via Wikimedia Commons

 デビュー作の『勝手にしやがれ』が巻き起こした〈映画の革命〉という評判に対して、伝統的な映画文法を重んじる〈反ゴダール〉派の批判は手厳しかった。

 ゴダールはストーリーもシナリオも書けないのか。

 キャメラはやたらと揺らいで観る者の視点が定まらないばかりか、場面のモンタージュはあちこちに飛んで、物語は支離滅裂にさえみえる。

 そして、あのスノッブな引用癖はなんなのか。古今の詩人や作家や哲学者、そして画家の作品と言葉の引用が、脈絡もなく主人公の台詞やナレーションを通して続くことに、巨匠たちや多くのジャーナリズムは辟易し、反発を隠さなかった。

 アラゴンが『気狂いピエロ』に寄せた賛辞は、こうした不評の渦をそっくり裏返すような効果をあげたのである。なぜならアラゴンはこの作品にちりばめられた数々の「引用」こそ、印象派以降の画家たちが編み出した現代美術のコラージュに相当する試みで、その瞬発的な喚起力と批評性が19世紀末、リュミエール兄弟の「列車の到着」にはじまった「映画」の概念を一新したというのである。


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