大阪・関西万博真っ盛りだ。まずは来場者の目標達成を祈念するばかりであるが、テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」、コンセプトは「未来社会の実験場(People's Living Lab)」だ。
そもそも万博は19世紀半ばフランスの内覧会が英国ロンドンで国際化し、その後フランス・アメリカを中心に開催が繰り返され、その後世界へと拡大、今日に至っている。当初の内覧会は産業革命真っ盛りの折、最新の産業技術の展示や情報交換の場としてスタートした。その意味では「近未来の体験」だった。
蒸気機関動力、ミシン、エレベーターなど、日常生活の自動化のための発明は便利な「近未来」の体験だった。その意味では今回の大阪万博のテーマとコンセプトは素直な原点回帰の意味を持っているように思われる。
そして19世紀後半から終盤に至る欧州列強の世界植民地分割時代に入ると、この「未知との遭遇」には植民地文化の発見と体験が来場者の関心を買った。文字通り万国博なのだ。
この当時、日本は民芸品や伝統的焼き物などを中心に異国情緒に支えられた物産展示を試み、大いに人気を博した。1867年のパリ万博で三人の柳橋芸者が人気を博したことは今日まで語り伝えられる世界的ジャポニズムブーム黎明期の象徴ともなった。風土や文化の伝播だ。
その意味では先端技術の展示にとどまらず、文化紹介・交流の場としての万博の顔も次第に定着していった。その意味では万博はまごうとことなき、文化外交のひとつの重要なツールだ。