2025年12月5日(金)

世界の記述

2025年7月2日

 ケネディ大統領夫妻はこの展覧会のオープニングのセレモニーにわざわざ来席し、「フランスは世界第一の芸術の国」と祝辞を述べた。エルベ・アルファン駐米フランス大使は大晩餐会を開催したが、その夜会の招待状にはモナ・リザは「アメリカ大統領とアメリカ国民に対して」ささげられたものであると記されていた。

 文化外交成功の代表例である。文化財を媒介としてその国に親しむということはよくある。

 実はモナ・リザは日本にも1974年に送られてきた。これまでにモナ・リザが海外で公開されたのはこの2回だけである。

 そのときと、ミロのヴィーナスが日本に来たときの熱狂を覚えている人は少なくなりつつあるが、優雅なヨーロッパ女性の二様の美術作品は長い歴史を背景にした普遍的な美しさを人々の目に痛いほど焼き付けた。多くの人がヨーロッパ文化に対する畏敬と羨望を掻き立てられたであろうことは間違いない。

 実は筆者もその一人だった。そうした人々がフランスを蔑視するはずはない。フランスに対する歴史を背景とする畏敬を伴った好イメージがもたらされる。

万博というメガイベントをどう生かすか

 メガイベントとしての大阪万博に私たちはどれだけの見識と意識を持って臨んでいるのであろうか。

大阪・関西万博による〝発信〟はできるのか(つのだよしお/アフロ)

 しばしばその成果として問われるのは、レガシーの議論だ。そのために観客動員数・資金規模、日本人気とハイテク応用の成果、跡地利用などがよく議論される。

 今回そのような可視的なレベルの議論をどれだけ超えることができるであろうか。つまり日本国民ばかりか、世界の人々にとって「記憶」としての大阪万博のイメージだ。

 たとえば昨年のパリオリンピックではLGBTQ(性の多様性)に象徴される価値観の変化であった。今回の「いのち輝く」という大阪万博に込められた含意は、筆者の月並みな解釈でいえば、生命の尊厳や人類の無限の可能性への期待感ではないかと思う。そして対外的メッセージともう一歩踏み込んで言えば、「いのち」を守る「平和な世界」の構築こそ日本が世界に喧伝すべき主張だということはできないか。

 ウクライナ・ガザの悲惨な現実に向き合う中で開催されている大阪万博は、唯一の被爆国日本の平和への願いを掲げた国家的イベントだ。そこに日本の世界的平和像がどこまで示されているのか。

 それは今回の万博に限らない。コロナ禍で開催された東京オリンピックは主催の意義が次々と変化し、いつの間にかコロナ禍の克服や復興オリンピックなど内向き志向に陥っていた。

 一枚の絵画の展示のレガシーにそれらは比肩するのか。その問いは、筆者の牽強付会の議論かもしないが、あえて問うてみたいことでもある。

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