2025年12月5日(金)

世界の記述

2025年7月2日

外交の原点は文化交流

 文化紹介には民芸・民俗的伝承文化などともに芸術の紹介も大きなインパクトを持つ。植民地時代の1883年のフランス語とフランス文化の教育を行うアリアンス・フランセーズの創設は、現代のフランス文化外交の嚆矢だった。世界各地に広がったフランス語・文化の海外普及の重要な拠点となった。

 フランスの文化外交は戦後も続けられ、直接的先鞭をつけたのは文化省の正式な発足であった。それは自らが初代大臣になった文豪アンドレ・マルローとドゴール大統領の協力の賜物だった。

 青年時代は仏領アジア植民地を彷徨し、人民戦線では義勇軍に加わってファシズム勢力と戦い、私生活では四度結婚した、「世紀の無頼漢」マルローは、祖国をナチの手から解放した救国の英雄ドゴールと馬があった。晩年のドゴールとの回想の書物で、マルローはドゴールに対するオマージュを披歴している。

 この二人が構想した文化外交のハイライトこそが、1963年1月、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザの微笑」が大西洋を渡りアメリカで展示されたときであった(これについては企画の段階から筆者も関係したTV番組「NHKBS歴史館 『モナリザはなぜ海を渡ったのか!?〜知られざるフランス外交の真実』」2011年6月8日放映に詳しい)。所蔵美術館であるルーブル美術館やマスコミは当初大反対のキャンペーンを張った。「文化を売るな」ということである。

 フランスが持つ歴史の宝をそう安売りするものではない。それに多くの入場者の熱気やテレビカメラで絵をいためてはならない。

 そもそも「文化」は外交や政治の道具ではない。これは今日依然として多くの人々が主張するところでもある。芸術的な深い味わいはそれなりの眼識がないとわからない。それも一理ある。誰でも自分が強い興味を持ち、人一倍執着した関心事に上っ面の批評をされて黙ってはいられない。

 しかし文化は普及する、つまり多くの支持者を得ることによってその価値が膨らんでいくことも確かだ。ひとつの文化的流行が関連領域に波及効果と相乗効果をもたらすのはよくあることだ。

 啓蒙思想の普及は産業革命や市民革命に発展し、近代社会の礎となった。自然主義は様々な学術・文化・芸術領域に影響を与え、美術工芸分野では印象派の誕生を準備した。文化・思想・芸術の普及は水が高きから低き所に流れる奔流のような自然の摂理だ。

 そしてそれは人の交流を介して大きな流れとなる。実は当時のアメリカのジャックリーヌ・ケネディ夫人はフランス印象派の大ファンであった。アメリカのファーストレディーがフランスの要人と接触する中で一つの国際的文化企画が誕生した。そこに外交向けのメッセージが込められたとしてもそれは不思議ではない。それもひとつの文化活動であると筆者は思う。

 少し硬い表現だが、文化活動は突き詰めて言えばモノの見方や価値観の伝達である。その単位は個人であったり、団体であったり、国であったりするが、それが人的交流を通して文化交流に拡大し、それが国同士の関係に影響を与えるならば、それは外交そのものであろう。


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