がん闘病というと、「命がけ」「壮絶」「不屈の闘志」といった言葉が並ぶ。確かにその通りなのだが、57日間入院してみて思ったのは、もう少し違う表現も必要だということだ。
たとえば、「退屈との戦い」「ヒマとの全面戦争」「病院食との知恵比べ」。そして何より、「孤独との微妙な駆け引き」である。
私自身、大腸がんと肝臓がんの大手術を受け、痛み・不安・不眠とセットになった入院生活を味わった。夜、廊下の電気が落ち、看護師さんの足音が遠ざかると、急に世界から取り残されたような気分になる。スマホの充電が切れた夜には、「これぞ真の孤独だな」と妙に感心したほどだ。
しかし観察していると、同じ環境にいながら、どんどん塞ぎ込んでいく人と、逆にどこか楽しみを見つけてしまう人がいる。差は性格ではない。「孤独の意味づけ」と、そこに少しユーモアを差し込む技術である。
「孤独」を悪役にするか、相棒にするか
孤独に負ける人は、一人の時間を「罰ゲーム」だと思っている。家族がお見舞いから帰った瞬間、表情が曇り、「ああ、また一人きりか」と心のシャッターが下りる。テレビをつけっぱなしにし、スマホをいじり倒し、それでも不安が消えない。
頭の中には「なぜ自分だけが」というセリフがぐるぐる回る。こうして孤独は、ますます“嫌なヤツ”になる。
一方、孤独に打ち勝つ人は、ひとりの時間を“編集室”にしてしまう。
「さて、今日の反省会でもするか」
「次の外来までの作戦会議だ」
と勝手に会議を始める。痛みの様子、検査の結果、明日の目標――そんなことを静かに並べなおし、最後に「ま、なんとかなるか」と締めて寝る。
孤独を「恐怖の部屋」ではなく「自分会議室」に変えた時、がん闘病の景色は少しだけ明るくなる。
「痛み・不安」とケンカするか、ツッコミを入れるか
痛みをひたすら敵視すると、心まで痛くなる。
「なんでこんな目にあうんだ」と怒れば怒るほど、痛みは存在感を増す。副作用に文句を言っているうちに、気分まで副作用に巻き込まれる。
そこで私は発想を変えた。夜中にズキッと痛んだら、
「おお、まだ生きてる証拠だな。ご苦労さん」と、身体に声をかける。
眠れない夜は、
「これは神様がくれた読書タイムだ」と勝手に解釈して、本を開く。
もちろん痛みが消えるわけではないが、「ただつらい」から「少し可笑しい」に変わるだけで、心のダメージはだいぶ違う。
がん闘病には、医学と同じくらい“ツッコミ力”が必要だと痛感した。
「他人との関係」を待つか、仕掛けるか
孤独に沈む人は、たいてい「誰にも迷惑をかけたくない」と言う。立派な心がけだが、度が過ぎると「誰にも本音を言えない」に変わってしまう。
結果として、心配してほしいのに、「大丈夫です」と笑顔でごまかす。こうして誰も本当の状態を知らないまま、本人だけが苦しむ構図ができあがる。
孤独に強い人は、もう少しちゃっかりしている。
看護師さんが来たら、
「今日もあなたの注射に全てを賭けてますよ」と冗談を飛ばす。
主治医には、
「先生が元気そうで何よりです。私の検査結果も、それにあやかりたい」と笑わせつつ、聞くべきことはきちんと聞く。
家族には、
「今日も来てくれて“ありがとう税”を差し上げます」と感謝を口にする。
何のことはない、人と少し笑い合うだけで、孤独は「完全な一人」ではなくなるのである。
