退院して1週間が経過した。まだ身体の芯に病院生活の名残が残るものの、自宅で過ごす時間のなんと安らかなことか。家族の声、家内の足音、台所の匂い――その一つ一つが、病棟では決して得られなかった“生活の鼓動”を取り戻させてくれた。
今回の大腸がん手術と長い入院生活は、私に数多くの気づきを与えたが、最も深く突き刺さったのは「家族の存在とはこんなにも大きな力だったのか」という事実である。
そしてもう一つ、忘れ得ぬ出来事があった。家内が心労から心筋梗塞で救急搬送されたことである。幸い一命を取りとめたが、あの瞬間、全身から血の気が引いていく恐怖を味わった。私は自分の入院に気を取られ、彼女がどれほどの不安と緊張の中にいたかを理解していなかったのである。
会社員時代の“男の思い込み”――家事は妻の仕事、家庭運営は妻に任せきり――その誤解を、私は「喜寿」になってようやく解いた。遅すぎた学びではあるが、だからこそ、これからの人生にしっかりと生かしていきたいと思う。
老後という第二の人生をどう生きるか。それは、夫婦がどう向き合うかに尽きる。夫唱婦随ではなく、むしろ「婦唱夫随」こそがこの時代にふさわしいのではないか。支えるのも寄り添うのも、どちらか一方ではなく、二人で担うべき共同作業なのである。
以下に、私が入院生活を通じて得た“老後の夫婦が仲良く生きるための七つの知恵”を記したい。どれも小さな気づきではあるが、老後の暮らしを豊かに支える知恵となるはずである。
第一の知恵:互いの「存在価値」を言葉にすること
長年連れ添った夫婦ほど、感謝も労いも言わなくなる。「分かっているだろう」と思うのは、男の思い込みで実は最も危うい。
老後とは、若い頃とは違う。体力も記憶力も落ちる。しかしそれゆえに、言葉にすることが“心の栄養”になる。
「今日もありがとう」
「貴女のおかげで落ち着くよ」
そのわずかな言葉が、夫婦の関係を驚くほど柔らかくする。言わなければ分からないのである。沈黙が崩壊を生むのではなく、過信が崩壊を生むのである。
第二の知恵:家事を“助ける”のではなく“共同する”という発想
私は長い会社員人生の中で、家事をすべて家内の領域だと思い込んでいた。しかし実際には、家事は生活のインフラであり、夫婦双方の責任である。
退院後、皿洗いをし、ゴミをまとめ、洗濯物を干しながら気づいた。家事とは実に“共同作業の最小単位”なのだ。大げさではなく、家事を分かち合うことこそ、老後の夫婦関係における最大の信頼構築である。
第三の知恵:健康こそ夫婦の“共通資産”であると理解する
今回の家内の心筋梗塞は、私に「健康の真の意味」を教えた。夫婦の健康は“二人で一つ”の資産である。どちらかが倒れれば、残された片方の負担は計り知れない。
だからこそ、食事、睡眠、運動――これらを「互いの責任」として考えるべきである。健康管理は個人主義ではなく、共同経営なのである。
