2025年12月14日(日)

Wedge OPINION

2025年11月28日

 2024年の自民党総裁選で選択的夫婦別姓制度の導入が争点となったのは記憶に新しい。一方、25年の総裁選では各候補者とも導入には慎重な姿勢を示し、表立った議論はなかった。

選択的夫婦別姓制度の議論は約30年前から行われているが、堂々巡りが続いている(KYODO NEWS)

 選択的夫婦別姓を巡る議論では、推進派は「個人の尊厳や自由」を、反対(保守)派は「伝統的な家族観が壊れる」などとそれぞれ主張し、お互いの価値観がぶつかり合う。ただし、双方の主張は、時に「利便性」で語られたり、史実に基づかない「感情論的側面」が強く、本質的な議論がなされているとはいえない。『21世紀家族へ』(ゆうひかく選書)の著書があり、家族社会学、歴史社会学が専門の京都産業大学・落合恵美子教授は、こうした現状に警鐘を鳴らす。浮かんでは消える夫婦別姓を巡る議論を〝政争の具〟にしてはならない。日本人は、歴史から何を見つめ直すべきなのか、今一度考えるべきだ。(小誌編集部)

 日本の選択的夫婦別姓の歴史的背景を振り返るのがこの論考の趣旨ではあるが、まずは100年以上前に起きたタイの出来事にお付き合いいただきたい。

 20世紀の初めに「ナームサクン(家名)法」を制定したタイの国王ラーマ6世は、なぜこの法律が必要なのかという自分の考えを「ナームサクンとセー(姓)」という論文に書いた。

ラーマ6世(在位1910年~25年)。兄の急死により英国から帰国して戴冠した(ARCHIVE FARMS/GETTYIMAGES)

 明治天皇と同時代を生きたラーマ5世の息子であるラーマ6世は、シェイクスピアのタイ語訳を手掛けるなど、欧州文化を熟知する知識人だった。

 世界的な視野をもつラーマ6世は考えた。欧州でも中国でも、強国の国民は個人名だけではない名前を持っている。タイの庶民には個人名しかないが、強国になるにはもう一つ名前を持たなければならない。

 しかし、中国型と欧州型は同じではなく、中国の「姓」は大きな親族集団を作り、国に対抗する恐れがある(詳細は後述)。そのため、タイは欧州型に倣うこととした。国に忠実な構成単位とするには、欧州のような「ファミリーネーム」を持つ小集団でなければならないと考えたのである。

 なぜ、そんな昔のタイの王様の話から始めたのか、不思議に思った読者もあるかもしれない。しかし、どうだろう。タイと日本は似ていないだろうか。日本の名前と家族について考えるには、タイが良いヒントになるとわたしは思っている。

 1913年に施行されたタイの「家名法」に先立ち、民法制定を目前にした日本でも、名前についての議論があった。

 江戸時代、日本の庶民は個人名で暮らしていたが、近代国家を目指す明治時代以降、国民全員が苗字を持つこととなった。しかし、扱いが定まらなかったのが既婚女性の苗字だった。1876年の太政官指令では「妻は実家の苗字をなのる」という夫婦別姓方針が示された。しかし、これも詳細は後述するが、地方からの問い合わせが相次ぎ、内閣直下の法典調査会で改めて審議された。


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