2025年12月14日(日)

Wedge OPINION

2025年11月28日

 わたしもこの歴史観を共有する。日本とタイは家族の世界史の中で同じ運命を経験してきたのである。

日本の名前の二つの伝統
氏族の名と家の名

 ここまで頭に入れておくと、日本の家族と名前の複雑な成り立ちについてやっと理解することができる。

 古代の日本には蘇我氏や藤原氏というような氏族集団があった。先祖との関係を父系と母系の両方でたどれる「双系制」の氏族だった。ヒミコ女王の例もあるように女性の地位は高く、考古学的には古墳の主が女性というケースも珍しくない。奈良時代になっても天皇の半分は女帝だった。この頃は個人名に加え氏族の名である「氏」が用いられていた。「氏」は生まれたときに決まり、生涯変わらない。つまりかつての日本は〝夫婦別姓〟だったのだ。

 しかし、中国から律令制度を導入したのをきっかけに、氏族は父系的傾きを強めていく。「父系制」の確立した中国のルールでは男性しか律令制の官僚になれなかったからである。つまり、誤解している人が多いが、「父系制」は日本古来の伝統ではなく、日本が「中国化」した結果だったのだ。中途半端な≪保守≫派の人たちが「父系制」にこだわるほど、日本の「中国化」を進めているという皮肉に気づいてほしい。

 それでも、日本では平安時代になっても結婚後は妻方居住が一般的で、妻が親から相続する財産が夫の出世を支えた。藤原道長が妻の源倫子の財産に助けられたように、双系的な伝統は生き続けた。日本はせいぜい「疑似父系制」にしかならなかったと言ってよいだろう。なお「姓」は朝廷内での地位を示すものだったが、やがて「氏」と同じような氏族名になっていった。

 さて、ここで新しいタイプの集団が出現する。氏族の中で兄弟がそれぞれの系統の「家」を立てるようになった。「双系制」が生きているので、別々の出身の妻たちに引かれたのだろう。「家」型の親族組織は、けっして日本固有というわけではなく、東南アジアや欧州などの「双系制」地域に分布している。

 「家」は厳密な親族集団というより、土地や家を相続する人たちの集団として発達していった。妻方の親族や他人を跡取りとして養子に迎えることもあった。簡単に言うと、その「家」の名として登場したのが「名字」や「苗字」である。家の建物があった場所(九条や木下)や、領地の地名(三浦や和田)などがつけられたことが多い。江戸時代の庶民は公的に苗字をなのることを禁止されたので、「蔦家」や「油屋」など、家屋や店舗の名である「屋号(家号)」を家名代わりに使うことも多かった。

 では、「家」では夫婦は別苗字だったのか、同苗字だったのか?

 柳谷慶子ら歴史研究者によると、どちらの場合もあったそうだ。しかし、江戸時代の終わりに近づくと、家名代わりの「屋号」を使い慣れた庶民の間に、夫婦を同じ名前で呼ぶ慣習が広まったと見られる。


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