こうしてみると、先述の明治日本で起きた「妻の苗字」を巡る混乱は、武士や貴族などの上層階級が守ってきた氏族名以来の夫婦別氏・別苗字の伝統と、庶民に親しみのある「屋号」化した家名という、日本の名前の二つの伝統の衝突だったことがわかる。法律上は「氏」という言葉を使いながら、実態は「家名」として法制化した明治民法は、この混乱の産物なのである。
しかし、注意してほしい。このときに法制化されたのは、夫婦は共に〝家の名〟をなのるということであり、〝夫の名〟に統一するということではなかった。明治初期には5人に1人の男性は養子として他家に入って苗字を変えた。その半数は養父の娘と結婚した婿養子だった。つまり、「家」とは「双系制」の伝統を生き延びさせる制度だった。
今に続く核家族の戸籍
日本を考える議論を
「双系制」の伝統を揺るがす変化が起きたのは、第二次世界大戦後のことである。家制度の権威主義的人間関係が日本ファシズムの温床となったという連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の判断を受け、家制度は廃止された。それに伴い、祖父母・親・子の三世代をひとまとめに記載するような「三代戸籍の禁止」というルールが設けられた。
現行の戸籍は、見たことのある方ならご存知のとおり、夫婦と未婚の子などからなる「核家族単位」となっている。米国と同じような核家族にしておけば危険はなかろうということだった。今では当たり前のように使用されている現在の戸籍は「米国化」の結果であり、戦前や江戸時代とはまったく別物なのだ。
核家族単位になったことにより、上の世代とのつながりが見えにくくなって、本来は跡取り娘であった女性の婚出が急速に進んだ。家業をもつ家が減り、勤め人が増加したことも関係している。現在、95%の夫婦が夫の苗字を選んでいるが、日本家族の名前が夫婦同姓かつここまで父系化したのは前代未聞である。これはもはや「家」ではない。財産相続は双系的で妻の親からもいただくのに、そちらの苗字は残さないというのも一貫しない。
日本の現行の名前の制度は、つまるところ「中国化」と「欧州化」と「米国化」の結果であり、日本古来の伝統でもなんでもない。
政治家やメディアが語る選択的夫婦別姓を巡る議論には、こうした歴史を踏まえた議論はほとんど見当たらない。日本のアイデンティティーはどこにあるのか、この機会に皆でじっくり考えてみよう。
