2024年12月9日(月)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2016年1月24日

生山裕人( Hiroto Ikuyama)
千葉ロッテマリーンズ
1985年大阪市生まれ。進学校である大阪府立天王寺高校卒業後、1浪して近畿大学文芸学部芸術学科演劇芸能専攻演技コースに進学。二部の準硬式野球部、八尾ベースボールクラブを経て、21歳のときに独立リーグの四国アイランドリーグのテストに合格。大学を休学して香川オリーブガイナーズへ入団。2年の在籍期間を経て、2008年の育成ドラフト4巡目指名で千葉ロッテマリーンズへ入団。4年間在籍したが、支配下登録されることはなく、12年のシーズン終了後に戦力外通告をうける。ウェディングプランナーを経て独立。

 この男のように特殊な経歴でプロ野球選手になった者は、未だかつていただろうか。

 話は大阪府内随一の進学校である天王寺高校時代にまで遡る。野球の練習は、2日に1回、16時から18時の2時間。グラウンドは、サッカー部とフィールドホッケー部との共用で、週2回の朝練でしかバッティング練習はできず、目標は甲子園出場であったが、それは名ばかりの目標であった。

 教師を目指し、大阪教育大学を受けるも、不合格。浪人し、再受験を目指すも、「全く勉強しなかったんだから、そりゃ、受かるわけない」と本人が語る通り不合格。もう一つの夢であった芸人の道を視野に入れ、近畿大学文芸学部芸術学科演劇芸能専攻演技コースに進学した。早い話、役者などの舞台関係の職に就くコースだ。

 もう一度野球をやりたい気持ちだけは残っていたが、講義時間の関係で、硬式野球部にも、準硬式野球部にも入れなかった。二部の準硬式野球部にかろうじて入部できたが、練習は月水金の18時から22時のみという、大学の体育会としては考えられないスケジュール。フリーバッティングの練習もできない劣悪な環境だった。しかし、この期間になぜか生山の野球への思いは最高潮に達する。


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