2024年12月22日(日)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2015年11月14日

 代官山駅から歩いて2分。ブティックやカフェが立ち並ぶ、東京のおしゃれを集めたようなこの街で、小林敦司は「2-3Cafe」を経営している。元プロ野球選手とは思えない華奢(きゃしゃ)な体つきに加え、彫りの深い端整な顔立ちは、いかにも代官山のカフェ経営者然とした佇まい。しかし、肘から手首にかけて刻み込まれた筋肉が、プロで11年間戦ってきたことを物語る。

 「毎日、生地からケーキ作ってるんで」。盛り上がった腕を見ながら、言葉少なに語る。それはまるで、自分がプロ野球選手であったことが他人事のようである。

小林敦司(Atsushi Kobayashi)
広島東洋カープ→千葉ロッテマリーンズ
1972年生まれ。東京都出身。拓大紅陵高校から90年のドラフト5位で広島カープに入団。99年には30試合に登板、防御率2.20を記録するなど、リリーフとして活躍。当時巨人に在籍していた清原和博氏の頭部に死球をあて、同氏が激高する「事件」もあった。2000年戦力外通告を受けるが、入団テストを経て千葉ロッテマリーンズへ移籍。翌年再び戦力外通告を受けて引退。10年間の修業期間を経て、11年4月に東京・代官山でカフェダイニングを開く。店内にはテレビ番組の企画で同店を訪れた清原氏の写真が飾られている。(写真:小平尚典)

 「プロ野球なんて、一回も意識したことなかったですよ」。拓大紅陵高校時代、いや、中学校時代ですら、エースピッチャーとして投げた経験はなかった。高校3年生最後の夏も、1回戦で一度投げただけの3番手。ちなみに、その大会で敗れた相手は、1学年下の小笠原道大を擁する暁星国際高校。

 当然、プロ野球は縁遠い世界だと思っていたが、監督から、意外にもプロから声がかかっていることを告げられる。迎えたドラフト当日、広島東洋カープから5位で指名を受ける。事前に知っていた人物は、監督と部長、それから家族のみ。小林を取り巻くほぼ全ての人間が、事態を飲み込めなかったことは、容易に想像できる。(ちなみに、なぜプロに入れたのかは未だに定かではないそうだ)

 1年目。春季キャンプが始まってすぐ、広島名物である猛練習の洗礼を受け、トイレに座ることすら困難なほど体は悲鳴をあげていた。なんとかプロの世界に食らいついていくも、2年目に肘を故障。秋に復帰すると、サイドスローに転向した。

 「当時、球界を代表するピッチャーであった巨人の斎藤雅樹さんのマネをしてキャッチボールをしていたら、やたらスムーズに投げられた。これしかないと思った」


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