2024年12月23日(月)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2015年11月14日

 その後もバイトを掛け持ちしながら2年半、修業の身を貫いた。カフェのキッチンでパスタの作り方などをマスター。イタリアンレストランのキッチンでは、より本格的な料理もできるようになった。

 そして11年、野球をやめてから10年が過ぎたとき、ついに自らの店を持つことを決めた。

働くということは飲食店を経営すること

 「両親も親戚も、飲食関係に従事していた。小さい頃から、働くということは飲食店を経営することだった」

 両親がサラリーマンだったら、会社に勤めていたはずと語る小林。飲食関係の仕事に就くということは、もはや遺伝子レベルで組み込まれていたのかもしれない。それにしても、10年という日々は長い。この期間は小林にとってどんな意味があったのだろう。

 「たとえ18歳でこの道に進もうが、やっぱり28歳までは修業していたと思う。プロ野球選手だから特別なんて、一回も思ったことはない」

 特に感情を起伏させることなく、淡々と言葉を紡いでいく。両腕の筋肉だけが、10年という月日を雄弁に物語っていた。

 「チーズケーキの美味しいお店。目指したのはそれだけだった」

 プロ野球選手だったという認識があまりないという小林は、元プロ野球選手ということを公表しなかった。カフェの激戦区である代官山であろうが、腕には自信があった。テレビ番組に取り上げられたことをきっかけに、チーズケーキは一時、作っても作っても品切れが続く人気メニューとなった。

 そのチーズケーキを一口大、口に運ぶ。舌の上で濃厚なチーズがふわりととろけ、爽やかな酸味が鼻腔をくすぐる。10年とか、修業とか、そんな重苦しいものは、このケーキに入っていない。あるのは、「美味しいケーキを食べてもらいたい」という熱意と、職人の誇りだけである。

(敬称略)

  
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◆Wedge2015年11月号より

 


 


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