世界から高い関心を集めたこの夫妻を、日本人はどれほど理解していただろうか。
1966年のロンドン。ニューヨークからやって来た前衛芸術家の個展を一人の男が訪れた。芸術家は長い黒髪と艶やかな瞳が印象的な東洋人女性で、その奇想な世界に魅了された男はこうつぶやいた。
「俺より頭のおかしなやつがいる」
男の名はジョン・レノン、世界を熱狂させるバンド、ザ・ビートルズの中心メンバーであり、ジョンから最高級の賛辞を贈られた芸術家はオノ・ヨーコと呼ばれる日本人だった。意気投合した2人は、前衛的な音楽やパフォーマンスに共同で取り組むようになり、3年後の69年に結婚する。その活動はやがてベトナム反戦運動へと向かってゆく。
ヨーコと出会って以降、ジョンはバンド活動に身が入らなくなり、ビートルズに軋みと亀裂が広がっていった。70年、ファンが悲鳴を上げる中、ビートルズは解散を発表した。あまりの衝撃に世界中から犯人捜しの声が上がり、名指しされたのは妻ヨーコであった。
当時の日本は前衛芸術に馴染みがなく、ヨーコについてもほとんど理解されていなかった。あのビートルズを解散に追い込んだ得体のしれない日本人、そんな世界の声に日本にも戸惑いが広がる。
だが、そんな難癖もどこ吹く風、ジョンは翌年、アルバム『イマジン』を発表する。反戦歌としても名高いこの名曲は、いまでは2人の共同創作だったことが公式認定されている。2人は反戦運動の他、黒人解放運動や女性解放運動など、政治的活動へと傾斜してゆく。後にジョンはこう語っている。
「ヨーコが先生で、ぼくは生徒」
この言葉は何を語るのか。ヨーコがジョンにもたらした深い影響について、世界はどれほど理解していたろうか。ビートルズ解散の痛みが、まだ癒えてはいなかった。
別居期間を経た2年後、夫妻に男児が誕生する。ビジネスと家計はヨーコが担い、ジョンは家事と育児に専念することが2人の間で決められた。ジョンは音楽活動を休止する。
翌年以降、3人の姿が夏の軽井沢で見かけられるようになる。定宿として愛したのはこの街を代表する老舗ホテルだった。

