ジョンの素顔を伝える
逸話の数々
1894(明治27)年に開業した万平ホテルは、1936(昭和11)年にいまの本館アルプス館へと建て替えが行われた。設計は日光金谷ホテルを手掛けた久米権九郎に依頼し、欧州の山荘に見られるハーフティンバー風デザインが採り入れられた。
その後、軽井沢が避暑地として外国人から愛され、戦後には別荘地として発展を遂げると、その中心となる社交施設の役割を担ってゆく。高級別荘が集まる一帯にあって、落ち着きあるクラシックホテルとして、いまも変わらず来訪客を集める。
77年の夏、ジョンとヨーコは1歳になるショーンを連れて万平ホテルを訪れた。歩ける距離にヨーコの実家の別荘があった。ふらりと現れた様子に、2人と気づく従業員もなく、空いている部屋に案内された。それから3年、一家は夏の1カ月ほどをこのホテルで過ごすことになる。
ファンの間では、決まって本館2階、128号室に入ったとされているが、他の部屋に泊まることもあったと、マネージャーの西澤美奈子さんは明かす。
128号室は48平方メートルのツインタイプ。特徴的なのは、ベッドルームが細工格子のガラス障子で仕切られ、床柱、床の間が設けられていることだろう。床脇には軽井沢彫の衣装箪笥も置かれて、和の趣きが巧みに取り込まれている。
窓の外には緑美しい楓が枝葉を広げている。夏、ソファでくつろぐゲストの眼に、たっぷりの涼味を感じさせてくれるだろう。
西澤さんによると、2人は朝、のんびりと起床し、食事は摂らずにカフェテラスで過ごした。ジョンは牛乳に茶葉を入れて煮出すミルクティーを厨房に伝授し、それを注文した。いまもその製法で提供されて、アップルパイとともに名物メニューに。その後、自転車に乗って街を散策し、夕刻には戻ってきたという。
夜はバーでビールやウィスキーを楽しみ、興が乗ると、ジョンがピアノを弾いたというから、居合わせた人はたまらなかったろう。バーに置かれていたアップライトピアノには彫刻が施されていて、ジョンはいたくお気に入りだった。
ある夜のこと、ロビーの腰板の内から子猫の鳴き声が聞こえた。どこからか迷い込んだと見え、従業員は翌朝の対応を口にした。ジョンは納得せず、工具を借りて自ら腰板を外し、子猫を救い出して部屋に連れ帰った。物静かなタイプのジョンの知られざる顔が遺されて印象深い。
80年、育児期間を終えたジョンは音楽活動に復帰し、ヨーコと共作したアルバム『ダブル・ファンタジー』を発表する。そのひと月後、自宅前で凶徒の銃弾に倒れた。その直前、ラジオ番組のインタビューの中でこう漏らす。
「死ぬならヨーコより先がいい」
ジョンが口にしたヨーコへの3つの言葉に、2人だけが知る夫婦の真実があるように思う。
