2026年7月26日(日)

偉人の愛した一室

2026年7月26日

ジョンの素顔を伝える
逸話の数々

軽井沢のメインストリートである旧軽井沢銀座通りから少し離れた静かな別荘地にたたずむ万平ホテル。西洋の伝統的なハーフティンバー様式を取り入れた姿にジョンは故郷・リバプールに似た雰囲気を感じていたという写真を拡大

 1894(明治27)年に開業した万平ホテルは、1936(昭和11)年にいまの本館アルプス館へと建て替えが行われた。設計は日光金谷ホテルを手掛けた久米権九郎に依頼し、欧州の山荘に見られるハーフティンバー風デザインが採り入れられた。

 その後、軽井沢が避暑地として外国人から愛され、戦後には別荘地として発展を遂げると、その中心となる社交施設の役割を担ってゆく。高級別荘が集まる一帯にあって、落ち着きあるクラシックホテルとして、いまも変わらず来訪客を集める。

一家が過ごしたとされる本館2階、128号室のルームキー。毎年夏が巡るたび、彼らは愛おしい記憶を抱いてこの部屋へと帰ってきたのだろうか

 77年の夏、ジョンとヨーコは1歳になるショーンを連れて万平ホテルを訪れた。歩ける距離にヨーコの実家の別荘があった。ふらりと現れた様子に、2人と気づく従業員もなく、空いている部屋に案内された。それから3年、一家は夏の1カ月ほどをこのホテルで過ごすことになる。

 ファンの間では、決まって本館2階、128号室に入ったとされているが、他の部屋に泊まることもあったと、マネージャーの西澤美奈子さんは明かす。

ガラス障子や猫足バスタブ、軽井沢彫の家具など、ジョンが滞在した当時の趣を今に伝える128号室

 128号室は48平方メートルのツインタイプ。特徴的なのは、ベッドルームが細工格子のガラス障子で仕切られ、床柱、床の間が設けられていることだろう。床脇には軽井沢彫の衣装箪笥も置かれて、和の趣きが巧みに取り込まれている。

 窓の外には緑美しい楓が枝葉を広げている。夏、ソファでくつろぐゲストの眼に、たっぷりの涼味を感じさせてくれるだろう。

カフェテラスでは、軽井沢の緑に包まれた空間で伝統の味を味わうことができる

 西澤さんによると、2人は朝、のんびりと起床し、食事は摂らずにカフェテラスで過ごした。ジョンは牛乳に茶葉を入れて煮出すミルクティーを厨房に伝授し、それを注文した。いまもその製法で提供されて、アップルパイとともに名物メニューに。その後、自転車に乗って街を散策し、夕刻には戻ってきたという。

ジョン一家はカフェテラスの窓際の席でこだわりのロイヤルミルクティーとアップルパイを楽しんだそう
ジョンも訪れていたアルプス館1階のバー。赤い絨毯や格天井など和洋折衷のクラシカルな空間が魅力だ

 夜はバーでビールやウィスキーを楽しみ、興が乗ると、ジョンがピアノを弾いたというから、居合わせた人はたまらなかったろう。バーに置かれていたアップライトピアノには彫刻が施されていて、ジョンはいたくお気に入りだった。

ジョンのお気に入りだったヤマハ製のアップライトピアノ。どんな曲を弾いていたのか想像が膨らむ

 ある夜のこと、ロビーの腰板の内から子猫の鳴き声が聞こえた。どこからか迷い込んだと見え、従業員は翌朝の対応を口にした。ジョンは納得せず、工具を借りて自ら腰板を外し、子猫を救い出して部屋に連れ帰った。物静かなタイプのジョンの知られざる顔が遺されて印象深い。

 80年、育児期間を終えたジョンは音楽活動に復帰し、ヨーコと共作したアルバム『ダブル・ファンタジー』を発表する。そのひと月後、自宅前で凶徒の銃弾に倒れた。その直前、ラジオ番組のインタビューの中でこう漏らす。

 「死ぬならヨーコより先がいい」

 ジョンが口にしたヨーコへの3つの言葉に、2人だけが知る夫婦の真実があるように思う。

ホテルには、ジョンとヨーコのサインや当時の写真が残されており、 一家の飾らない空気感が、長い年月を経た今も静かに息づいている
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台湾「麗しの島」の実像 日台新時代を拓く「3つの視座」
台湾「麗しの島」の実像 日台新時代を拓く「3つの視座」

かつてポルトガル人が「フォルモサ(麗しの島)」と呼んだ台湾。半導体産業で世界の最先端技術をリードし、日本統治時代の記憶も、歴史の一部として内包している。一方で、現在は米中対立の最前線に立たされ、難しい現実に直面している。国際社会で複雑な立場にある台湾とともに、日台新時代をどう拓くのか─。「3つの視座」から考えたい。


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