妻もヘルガの夫も知らぬところで続いたという、15年にわたる画家とヘルガとの秘められた日々をメディアは「世紀の密会」と呼んだ。
しかし、240点の連作〈ヘルガ〉の公表にあたっては妻のベッツィも立ち会っている。そうであれば、これは画家とその妻、それに一人の無名のモデルがひそかに演じ続けた〈片隅のアメリカ〉の「暗黙の物語」だったのかもしれない。
米国人の秘めやかな〈人生〉描く
アンドリュー・ワイエスは20世紀米国を代表する写実画家である。自宅のある故郷のフィラデルフィア近郊の農村と、別荘のあるメーン州クッシングを生涯離れることなく、変わらない田園の四季の風景の移ろいと近隣に暮らす人々の姿を、静謐で孤独な詩情を湛えた筆触で描いた。
ここには戦後の冷戦下、物質的な繁栄を謳歌しながら世界の主役として振舞う、自信と驕りに満ちた米国人の姿は微塵も窺えない。〈ヘルガ〉を含めてワイエスの作品に登場する人と風景の造形は、建国以来世界各地から移り住んで広大な自然を切り開き、町を作って自立した新世界を生きてきた、米国人の秘めやかな〈人生〉の表徴にほかなるまい。
ボストン近郊のウォールデン湖のほとりに小屋を建て、自給自足で暮らしながら文明への考察を重ねた思想家、ヘンリー・ソローから、ワイエスは少なからぬ影響を受けている。
著書『森の生活』(講談社学術文庫)にソローはこう記している。
〈私は地平線を独占しているが、そこは森の境界をなしている。また一方には鉄道が池に接し、他方には林道沿いの柵が遠方に見える。けれどもおおまかに言えば、私の住んでいる場所は大草原にでもいるかのように寂しいのである〉(佐渡谷重臣訳)
ワイエスの作品の舞台はソローが「半マイル以内には一軒の家すらも見えない」と書いたウォールデン湖畔と同様、巨大な米国社会の周縁に孤立した農村に広がっている。画家の官能的なまなざしが自然に抱かれた集落の隣人たちや閑寂な風景をとらえた時、それは当たり前のように人と人を結ぶ濃密な空気を伴って、観るものをひそかな物語の世界へと導いてゆくのである。
ワイエスの別の代表作
実はワイエスが作品のモデルとして、長い間描き続けた女性は「ヘルガ」が初めてではない。広く米国人がワイエスの名前を知るきっかけとなったのは、戦後ほどない48年に描かれた『クリスティーナの世界』である。
この絵のモデルとなったのはアンナ・クリスティーナ・オルソンで、メーン州の画家の別荘の近くに住むオルソン家の娘である。なにかしらが起こりそうな、劇的な気配を漂わせたこの作品は、彼女をモデルにしたワイエスの代表作となった。
樹のない黄褐色の広大な平原に横たわる若い女性は、半身を起こして丘の上の小さな家を振り返っている。地平線に佇む家までは遠く、平原にはほかに人の姿はない。
体をよじって彼方の家を見つめている後ろ姿のクリスティー-ナには、どこかに不穏の気配がある。というのも、彼女はCMT(小児麻痺)による両足の障害をかかえていて、這いながらしか移動することができなかったからである。もちろん、画家はそのことを知ったうえで、この女性をモデルにさまざまな作品を描いた。
〈大部分の人が絶望に陥るような境遇にあって、驚異的な克服を見せる彼女の姿を正しく伝えることが、私の挑戦だった〉
画家はのちにアルフレッド・バーにあてた手紙で、クリスティーナをモデルにした動機をこのように振り返っている。
『クリスティーナの世界』でモデルが振り仰いで見つめているのは、常識的には遥か遠景の「わが家」であろう。しかし、何もない平原の彼方の地平線に建つこの「家」と障害を持った女性の距離を考える時、もうひとつの画家の含意が浮かび上がる。
