「いつかこうなると思っていた。13人も亡くなれば、もう『災害』だ」
北海道と東北地方を中心にクマとの軋轢が相次いだ2025年。NPO法人南知床・ヒグマ情報センターの藤本靖さんは、一連の騒動を振り返り、こう続ける。
「秋田県への自衛隊投入も、まるでそれが『最後の手段』であるかのように伝える報道が目立ったが、現場を知る立場からすれば、自衛隊を投入しても住民の安全は守れない」
自衛隊の本来任務は「訓練」であり、〝便利使い〟されるのは当然望ましくないことでもある。
だが、藤本さんがそう語気を強める背景には、ある確信があった。
「1962年、今私がいる標津町で、大量のヒグマが出た。その時にも、住民からの強い要望に応じて自衛隊が投入され、少数のヒグマを仕留めたそうだが、地元の住民が一緒に山に入り、案内したからこそ実現できたことだった。
今も同じことだ。箱わなの設置や捕獲したクマの運搬など、人手が必要な場面で自治体は救われるだろうが、いざクマが出たときに対応するのは、元々いる職員だ」
25年7月、北海道羅臼町の国道で白昼堂々、生きたシカの首元に食らいつくヒグマの姿は人々に強烈な印象を与えた。その現場にいち早く駆け付けたのも、「職員」である。
「母グマはもう一人のガバメントハンターが、子グマ2頭は私が駆除した。市街地から近い国道かつ通学路でもあったため、見逃すという選択肢は取れなかった」
そう語るのは羅臼町産業創生課の田澤道広さん。行政職員でありながら個人として銃所持許可を持つ、「ガバメントハンター」だ。
「ここ数十年間の大きな問題は、住民がいる市街地だからこそクマを撃つ必要があるのに、『撃っていいのは山の中だけ』だと、実態と法律とが矛盾し続けていたことだ。しかし今、そのような状況からようやく脱却し始めている」
同年9月には自治体の判断で市街地における銃猟が可能となる「緊急銃猟制度」が施行され、11月には警察官がライフル銃を使用してクマを撃つことが可能になった。これに伴い、秋田県と岩手県に「銃器対策部隊」が初めて派遣されたのだ。
こうした動きについて田澤さんは、「猟友会のような『趣味』の団体ではなく、国民の生命・財産を守る『公の仕事』としてクマの対応にあたれる仕組みが整うことは望ましい」と評価しつつも、現場対応における難しさも明かしてくれた。
