2024年から25年にかけて日中の歴史に関連する「一室」を多く訪れた。両国関係の緊張が高まる今、改めてそれぞれ場所に思いが及ぶ。
まずは25年の春に訪ねた下関の「日清講和記念館」である。日清戦争に勝利した日本は清国から台湾ほかの割譲を受け、当時の国家予算に匹敵する巨額の賠償金を得た。
今回の高市早苗首相の発言になぜ中国が猛反発しているかと言えば、台湾統一は中国の核心的利益であるとする中国政府の確固たる主張があり、その背景に、台湾を取り戻すことが日清戦争から始まる屈辱の歴史を晴らすことだ、とする習近平主席の歴史観があるとされている。歴史は過去だけのものではないのだ。
この講和条約が結ばれた下関の「春帆楼」は伊藤博文が愛したふぐ料理屋であり、交渉が行われた部屋を保存して設けられたのが講和記念館だ。
訪れた際、台湾からの観光客グループと一緒になった。
春帆楼の方によれば、台湾から多くの人々が訪れるが、彼らに言わせると、今の台湾の出発点に関連する場所だから、なのだそうだ。春帆楼の眼下には関門海峡が横たわり、ここを通過して兵員や軍事物資が大陸へと送られていった。そのことを、中国人は忘れていないのかもしれない。
伊藤とともにこの交渉に臨んだのは外相の陸奥宗光だった。大国清との戦争に及び腰だった伊藤らに対し、強気の外交によって開戦を主導したのが陸奥である。その内幕を詳細にしたためた『蹇蹇録』は日本近代史の第一級史料と言われる。
