流転の王妃──哀感漂うタイトルの本がベストセラーとなったのは1959(昭和34)年のことだった。著者は愛新覚羅浩、満洲国皇帝溥儀の実弟、愛新覚羅溥傑の妃だった人である。翌年に早くも京マチ子主演で映画化される。激動の歴史の生々しい証言、そして互いを想う夫妻の情愛が深い感動を呼んだからだった。
日本に留学していた溥傑が嵯峨侯爵家から浩を迎えたのは37(昭和12)年である。満洲に傀儡国家を建設した関東軍が企った政略結婚だったが、二人は満洲に渡るまでの半年、溥傑が通った陸軍歩兵学校に近い千葉の稲毛に新居を構え、満ち足りた新婚生活を送った。その旧宅が当時の姿で残されている。
満洲での溥傑の身分は陸軍士官に過ぎず、生活は慎ましやかなものだった。関東軍を警戒する溥儀は、溥傑にも気を許すことはなかった、そう浩は書き残しているが、やがて日中戦争が拡大し、続く太平洋戦争から日本の敗戦へと時は流れて、満洲国は幻のように消えてゆく。
溥傑は溥儀に付き添い急ぎ日本への亡命を目指すも、満洲に侵攻したソ連に囚われの身となる。終戦から5年後の50(昭和25)年には中華人民共和国に引き渡され、その後、戦犯として10年にわたり収監されることになる。
一方、愛新覚羅一族とともに日本を目指した浩と次女の嫮生は、溥傑がソ連に抑留されたと知ると、中国に留まる道を選ぶ。内戦が激しくなる中、中国共産党の監視下で各地を引き回され、旧日本軍が起こした通化事件では日本人の虐殺も目にする。時に厳しい尋問に死すら覚悟し、また、溥儀の妻だった婉容との悲しい別れも経験する。それでも浩の満洲国での嫌疑を晴らす証人が現れてなんとか危機を脱し、ハルビンの慈善団体に身を寄せることができた浩は、引き揚げ船で日本に戻り、溥傑の行方を捜そうと心を決する。
ところが、乗船を前に日本人の密告を受け、今度は国民党によって北京に連行されてしまった。北京では溥傑の父、醇親王との面会が許されたものの、わずかな滞在で上海へと移送された。またも囚われの身となった浩だったが、上海で引き揚げ業務を担う元陸軍大尉に救われ、46(昭和21)年12月、ようやく日本に向かう船に乗った。終戦から1年5カ月、浩の流転の旅は終わりを告げる。
だが、夫の消息は杳として知られぬまま、むなしく時は流れる。二人の娘とひっそり暮らす浩のもとに、収監中の溥傑から突然、手紙が届くのは54(昭和29)年のことだった。終戦時、日本に留学中だった長女の慧生が周恩来に宛てた手紙が事態を動かしたのだ。夫の無事を知った浩の喜びはいかばかりであったろう。
そして、とうとうその日がやってきた。収監から解放され、北京で庭師となった溥傑は、浩との生活を強く望んでいた。61(昭和36)年、二人は広州で16年ぶりの再会を果たすと、その場で、浩は中国人として生きる決意を示した。それが浩の信じる夫婦愛だったのだ。