離別中に慧生と死別し、日本での人生を選んだ嫮生とも別れ、浩は名誉と地位を回復した溥傑と中国で添い遂げる。二人は国交回復後の74(昭和49)年に来日し、さらに、浩が旅立った3年後の90(平成2)年、溥傑は再び日本を訪れ、この稲毛の旧宅に足を運ぶ。この折、溥傑に付き添った嫮生が裏庭に白雲木の苗を植えた。この名木は成婚に際し、浩が貞明皇太后より種を賜ったもの。かつては宮中にしかなかった珍しいもので、春には白い花を咲かせ甘い香りを漂わせる。
縁先に立って海を眺めた途端、溥傑は深い哀切の情に襲われ、亡き妻に語りかけるように二編の詩を残す。
──想い出すとつい我を忘れてしまうほど幸せだった──
満洲の厳しい自然に育った溥傑には、稲毛の穏やかな風光と新婚生活は、生涯忘れえぬものだった。