2024年12月5日(木)

偉人の愛した一室

2024年11月23日

夫婦の生涯
忘れ得ぬ光景

 二人が新婚生活を送った住まいは、稲毛海岸を望む小高い場所に建つ。稲毛浅間神社に隣接し、かつては目の前が浜辺、海の鳥居から始まる参道が脇を抜けて本殿へと続いた。風光明媚な保養地として付近には多くの別荘が建てられていた。

和風の木造平屋建て建築で、全体として改造が少なく、大正時代初期の意匠が残っている
当時使われていた表札も大切に保管されている
部屋ごとに形が異なるアンティークの照明は夫妻がここに住む前から使われていたものだ

 家屋はさほど手の込んだものではないが、使われている材料は一級品である。玄関を入ると、奥に向けて和室が二間に洋室が続く。これらは夫妻の居室だった。管理する千葉市教育委員会の飯島史尊さんは、「洋間は二人のために特別に用意されたものではないか」と話す。

 玄関から右手には八畳と十畳の客間が設けられた。海に近い十畳は、格天井に品格ある欄間、一間半の床がつき、床脇に違い棚、天袋、地袋が備わる式正の書院造りである。ここに溥傑はなぜか応接セットを置いていた。陸軍に用意された家であっても、満洲と変わらぬ椅子の生活にこだわったのかもしれぬ。

大広間からは広い庭を一望できる。窓辺に立つと高台ならではの爽やかな開放感に包まれる
亀甲格子や精巧な彫刻が施された欄間、結霜ガラスの入った障子、洋風な照明など意匠がこらされている
主屋では中国の現代三筆にも数えられる溥傑の書を見ることができる

 取り回された縁側からは稲毛海岸、さらには袖ケ浦を望むことができた。海苔の養殖が盛んで、漁をする漁船も眺められた。二人がここで満ち足りた時間を過ごしたことは、邸内に飾られた仲睦まじい写真の数々が物語る。それは確かにつかの間に過ぎなかったのだが──。


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