2024年11月22日(金)

絵画のヒストリア

2023年10月25日

真紅のヒナゲシに託した結末

 藤尾という女性の造形に直接重ねられているのは、イプセンの戯曲『ヘッダ・カーブレル』で気位の高さから周囲の人々を破滅に追い込み、夫の愛を失って自殺に追い込まれる女主人公である。漱石は評論の『文藝の哲学的基礎』のなかで、男勝りの才知と美貌を持つがゆえに夫や他人を苦しめたり、馬鹿にしたり欺いたりするこの女主人公を「徹頭徹尾不愉快な女」とこきおろしている。

 〈『虞美人草』は毎日かいている。藤尾という女にそんな同情を持ってはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつをしまいに殺すのが一篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。しかし助かればなお藤尾なるものは駄目な人間になる‥‥〉(小宮豊隆宛 1907年7月19日付)                 

 藤尾の死の床に、漱石は酒井抱一の筆になる二双の銀屏風を設え、それをさかさまにして立てた。銀箔の画面を背景にして、深紅の芥子の花を散りばめた抱一の屏風である。

 牛込の大名主の家に生まれながら、漱石は養子に出されて苦節を噛みしめた。少年期の孤独を慰めたのは身の回りの書画骨董で、とりわけ酒井抱一の作品には深い愛着を持った。最後の長編小説の『門』で主人公の宗助が手にする父の遺産は、抱一の「月に秋草」の図屏風である。

 〈納戸から取り出して貰って、明るい所で眺めると、慥かに見覚えのある二枚折であった。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、真丸月を銀で出して、其横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた辺から、葛の葉の風に裏を返してゐる色の乾いた様から、大福程の大きな丸い種の輪郭の中に、抱一と行書で書いた落款をつくづくと見て、父の生きている当時を思い起こさずにはゐられなかった〉(『門』)

 死んだ藤尾の枕辺に立てた抱一の屏風に描かれているのは、はかなげなこれらの秋の花々とは全くことなる、深紅のヒナゲシ、つまり虞美人草である。

 花の名の由来となっている〈虞美人〉とは春秋時代の中国の楚の武将、項羽の愛妾のことである。垓下で劉邦の軍に包囲されて項羽の敗色が極まったとき、足手まといになるまいと自ら命を絶った。その時虞美人がながした血から咲き出した深紅のひなげしの花に、虞美人草の名は由来する。

 漱石が藤尾という〈運命の女〉に重ねたクレオパトラは、アントニーとオクテイヴィアスという、戦争を介した二人の男の対立のはざまで死を選ぶ。〈虞美人〉もまた、項羽と劉邦というもともと友人同士だった二人の武将のあいだで運命を自ら選ぶ女である。

ロンドン・クラパムコモンに残る漱石の三番目の下宿だった建物(IKEDA MIWAKO/アフロ)

 打算と計略の果ての〈男選び〉に失敗して死んだ藤尾に手向けるのが、銀地に鮮やかな紅色のヒナゲシの花々を散らした抱一の図屏風という趣向には、文明の「虚栄の毒」を仰いでたおれた美しい女に対して、漱石が胸底に隠し懐いたそこはかとない同情と憐憫が、その容赦のない嫌悪の筆致の行間から浮かび上がるのである。

 〈純白と、深紅と濃き紫のかたまりが逝く春の宵の灯影に、幾重の花瓣を皺苦茶に畳んで、乱れながらに、鉅を欺く粗き葉の尽くる頭に、重きに過ぎる朶々の冠を擡ぐる風情は、艶とは云へ、一種、妖冶な感じがある〉

 漱石は『虞美人草』の連載にあたり、予告で虞美人草という花をこう描いた。

 それはもちろん、ヒロインの藤尾という女の偽りのない漱石の素描である。

 藤尾の死で物語は唐突に終わる。宗近は外交官試験に合格してロンドンに赴任し、残された甲野は宗近の妹の糸子と結ばれる。「道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起こる」と漱石は結んだ。

 漱石は世紀末の文明がもたらす〈毒〉にあてられて死んだ藤尾という美貌の女の悲劇を、抱一の屏風に描かれた真紅のヒナゲシに託した。この美しい〈毒〉の誘惑を前にして、作家は〈運命の女〉の激しい自我と情熱の奔流を深く畏れ、そして実はどこかで惹かれていたのではなかろうか――。

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