「Wedge」2023年1月号に掲載されている連載 Letter 未来の日本へ『音楽家として、母として 知的で優しい日本の皆様へ』記事の内容を一部、限定公開いたします。全文は、アマゾンや楽天ブックスの電子書籍「Wedge Online Premium」でもご購読できます。
椎名林檎はアーティスト活動の一切を辞めていた時期がある。それは21年前の2001年、長男を産み、子育てに没頭している最中だった。
「21歳で子どもを産み育てているときに、もう自分の人生ではなくなったと思いました。自分が親にしてもらったこと全部、いや、もっとたくさんのことを子どもに残したいと。でもなかなかその通りにできず、焦っていた。当時は仕事なんて金輪際できないと思いました」
1998年に『幸福論』でデビューし、翌年にはファーストアルバム『無罪モラトリアム』がミリオンヒット、2000年の『勝訴ストリップ』は250万枚を超えた。スターダムに登りつめた途端、なぜその地位を捨てようと思ったのか。
01年9月11日、椎名は授乳の合間に、テレビのバラエティー番組を見ていたという。その瞬間、パッと画面が切り替わって、米ニューヨークの世界貿易センタービルが倒壊する映像を目にした。恐ろしかった。同時に彼女は「自分が恐怖感を覚えているように、こうやって不安に震えながら頼りないわが子を抱えた女性たちが全世界にいるんだ」と思った。
「その人たちに同調し、その思いを表す曲を書いて、密かにどこかへ置いておくのが自分の使命だと思ったんです」