藤尾のモデルは誰なのか
破滅するヒロインとして登場させたこの女を、漱石が目くるめくような狂言綺語を散りばめて描いたのは、小説作法上の機略の一つである。それは天性の美貌で男たちを手玉に取る藤尾という女が、高慢と虚飾のはてに滅びてゆく姿を憐れむというよりも、むしろその虚栄の果てのあっけない死を荘厳してゆく効果をこの小説にもたらしている。
ここでは、さきに藤尾自身によって紹介されたクレオパトラをはじめ漱石が親しんできた古今東西の小説や絵画のなかのヒロインの面影が投影されている。
シーザー暗殺後のローマ帝国を舞台にしたシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』では、ポンペイの反乱の知らせを受けた執政官アントニーが放蕩生活から目覚めてクレオパトラをエジプトに残し、ローマへ帰還する。しかし、対立する執政官オクテイヴァイスとの反目が日増しに高じて、エジプトのクレオパトラのもとに戻ったアントニーが狂乱するなかで、味方の国王や将官は次々と寝返ってゆく。
オクテイヴァイスと決戦の日、アンントニーの愛をためそうとクレオパトラが侍女にもたせた遺言に逆上したアントニーは、その場で心臓に剣を突き立てて自裁する。
女の驕慢に翻弄されたアントニーの自死を知ると、勝利者オクテイヴィアスの捕囚となったクレオパトラはローマへの凱旋への同行を断って、その後を追う――。
藤尾のモデルに準えられるもう一人の女性は、漱石が『薤露行』(*11)で描いているアーサー王伝説を題材にした『シャロットの女』である。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスのこの作品をはじめ、「ラファエル前派」と呼ばれる英国の19世紀末の画家たちの耽美的な女性像は、ロンドン留学中の漱石の胸に深く刻まれたものであった。
*11 薤露:かいろ(死者の魂が回帰するところの意)
詩人テニスンが描くところのシャロットの女は高い塔の中でひとり暮らし、タペストリーを織り続けている。彼女は窓の外の現実と触れ合うことができず、鏡を通してしか世界を見ることができない。しかし、あるとき鏡のなかに円卓の騎士、ランスロットの凛々しい姿を認めて、激しくその心を揺さぶられる。自らの運命に背いて鏡を割り、現実の騎士の姿を追い求めたとき、この薄幸の美女に何が起こるのか。
〈ぴちりと音がして皓々たる鏡は忽ち真二つに割れる。割れたる面は再びちぴちと氷を砕くが如く粉微塵になって室の中に飛ぶ。七巻八巻織りかけたる布帛はふつふつと切れて風なきに鉄片とともに舞い上がる。紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつはる〉(『薤露行』)
〈ぴちり〉という、鏡が割れる音の描写が美しい。
この音はシャロットが禁忌を破って、閉ざされた塔屋から外の世界へ踏み出した瞬間を象徴する運命的な音であり、シャロットという女が初めて外界の空気に触れた時の痛みとおののきを伝える音でもあろう。
『シャロットの女』は妖艶で謎めいている。19世紀末の欧州の浪漫的な思潮を映した〈ファム・ファタル〉、つまり男を惑わせる魔性の女の造形として、漱石は他の作品でも耽美的で男を惑わせるヒロインを描き出している。
『虞美人草』で描いた藤尾とつながるヒロインは、その連載の翌年にやはり新聞連載した『三四郎』に登場する美祢子であろう。九州から上京した帝大生の三四郎がほのかに思い寄せるこの女性は、山の手の暖炉がある屋敷でヴァイオリンを弾いている。
逢瀬の途中で女が口にした〈ストレイシープ〉(*12)という意味ありげな言葉で二人の定めのない関係に終止符が打たれ、にわかに美祢子は他の男と結婚してしまう。『新約聖書』のマタイ伝に記された神の愛の喩を引いて、三四郎を翻弄するこの女性もまた、〈魔性の女〉の一類型にほかならない。
*12 ストレイシープ:迷える羊