2024年12月2日(月)

絵画のヒストリア

2023年8月5日

 16世紀半ばのローマで、非道と残忍の限りを尽くした貴族のフランチェスコ・チェンチが殺された事件の犯人として、その娘と妻が世論の同情を集めながら公開処刑された悲劇は、《チェンチ事件》として後世の多くの作家たちに書き継がれている。

 スタンダールは『チェンチ一族』(三笠書房)で、この悲劇の主人公として断頭台に送られたベアトリーチェ・チェンチという22歳の美しい娘の肖像画を前にして、こう書き留めた。

〈巨匠グイードは、ベアトリーチェの首につまらぬ布をちょっとばかりからませ、頭にターバンをかぶせているが、これはベアトリーチェが断頭台に臨むためにつくらせた衣装や、絶望の淵に沈んでいる16歳(*実際は22歳=引用註)のかわいそうな少女の乱れ髪を、正確に模写したら、あまりに真にせまってすごい印象与えることになりはしまいかとおそれたからだろう。顔は優しくて、美しい。まなざしはきわめて優しく、目はひどく大きい。さめざめと泣いているところを不意に見られたような、驚きの目をしている。髪の毛は金髪で、誠に見事だ〉(小林正訳)

グイド・レーニ「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」(油彩・カンバス、1640年頃、ローマ、国立古典美術館蔵)(Heritage Images/gettyimages)

 スタンダールがこの肖像画の作者としているグイド・レーニは『聖セバスチァンの殉教』で知られるバロック絵画の巨匠である。作者については近年異説もあるが、スタンダールは事件から200年以上を経た1834年3月、ローマでこの肖像画に出会い、事件当時の訴訟記録やそのころ書かれた事件の報告を読んだ。ベアトリーチェが処刑された1599年9月11日の4日後に書かれた記録をもとに小説化したのが、この作品である。

〈クレメンテ八世アルドブランディーニ法王猊下の御世、去る1599年9月11日土曜、親殺しのため処刑された、ジャコモ・チェンチ、ベアトリーチェ・チェンチ、およびこれら兄妹の義母ルクレツィア・ペトローニ・チェンチの死に関する真相〉

 この長いタイトルの記録をたどって、事件の概要と処刑直後に巨匠グイド・レーニが描いたという『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』の謎を探ってみたい。


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