ひとりが手にした大釘を寝台の老人の目玉の上にあてて、もう一人がそれを金槌で打ち込んだ。もう一本の大釘はのど元に打ち込まれた。もがく老人から夥しい血が流れた。
母娘は血まみれの死体をシーツにくるんで庭に運び出し、大きなスイカズラの木の根元に投げ込んだ。
ペトレッラ城で起きた残忍な父親殺し事件は、実行犯のマルツィオが逃亡先で逮捕されて一切を自白したことから、ローマにもどった母娘と二人の息子は捕まり、裁判所は監獄に彼らを拘束した。吊るし刑による拷問が繰り返されたが、それに耐えながら美貌をたたえて堂々と正当防衛を申し立てるベアトリーチェの姿が、取り調べの判事らの判断を迷わせ、世論を大きく揺るがしたことを、スタンダールはこの小説のなかで書き留めている。
〈十六歳になるまでに、ありとあらゆる不幸に責めさいなまれ、これほど悲惨な境遇をこうむった以上、今度こそは、もうすこしましな日々を送ってしかるべきではないか。ローマでは、だれもがベアトリーチェの弁護に立っていたようだった〉
しかし、法王クレメンテ8世の決断は過酷であった。ローマ市民に広がったベアトリーチェと家族に対する同情と強い共感を退けて、母娘と兄のジャコモに死刑の宣告を下したのは、「ローマで最も美しい農園」といわれた広大な領地を含めたチェンチ家の財産を没収できることへの思惑があったからだと、今日には伝えられている。
断頭台での異様な美しさ
1599年9月11日の未明、ローマのサンタンジェロ橋前の広場には大きな断頭台が設けられ、ギロチンが組まれた。修道女が監獄の門前にキリスト像を建てて礼拝堂を作った。
最初に牢から出された兄のジャコモはまず戸口に膝間づいて敬虔な祈りを捧げ、十字架の聖痕に接吻した。赦免されることになった弟のベルナルドが手錠をほどかれた。
死刑の宣告を受けたベアトリーチェは悲嘆に泣き崩れたが、落ち着いた母の言葉を聞くうちに冷静な落ち着きを取り戻した。まず遺書を認めるために公証人を呼んで、自らの墓所を指定し、聖痕派の修道女たちに多額の財産を遺贈することなどを命じた。
「お母さま、そろそろ受難の時がまいります。準備をいたしましょう」
22歳の娘は義母のルクレツィアにそう呼びかけて、ミサのためにしつらえた服に着替えた。青のタフタ織で、同じ色のヴェールで頭部を覆い、銀糸のラシャのスカートに太い帯を巡らせた装いは、修道女の服装に似ていた。
聖旗を先頭に行列がサヴェッラ監獄の獄門にさしかかると、捕らわれの身で十字架像を手にしたこの母娘が末尾についた。サンタンジェロ橋の前の広場は群衆と夥しい馬車で埋め尽くされており、運命の母娘の姿を一目見ようという人々のまなざしがこの行列に集まっていた。
後ろ手に縛られた母のルクレッツィアが断頭台に上って処刑された。
この時、見物で広場に集まった群衆が乗った物見台が重さに耐えきれずに崩れ落ちた。多くの死傷者が出て、広場の興奮と混乱に拍車をかけた。
聖旗を持った付添司祭が近づくと、ベアトリーチェは高い祈りの声をあげた。
「この身体は罰せられることになるのですから、しばってください。しかし、この魂は天国に行って、永遠の光栄に浴することになるのですからしばらないでください」
行列の末尾についてから断頭台に向かうべアトリーチェの姿には「異様な美しさがあった」。二百年以上の時間を隔てて、作家はこの猟奇的で理不尽な事件を当時の記録から再現してそう記した。そのようにしか表しようのない〈アウラ〉の磁場が、このサンタンジェロの広場に生まれていたである。