2024年12月22日(日)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2024年11月21日

 およそ法律家ぐらい理屈好きの人間はいないだろう。法律家は、判例をめぐるまじめな議論も好きだが、いわゆる空理空論も大好きな傾向にある。筆者は弁護士との飲み会に参加するたびに、大変面白いが、一見すると役に立ちそうにない議論を目の当たりにして驚いたことがある。

 法体系は包括的なものであり、人間の善行も悪行もすべて、どこかに収めて議論できる。したがって、法律家は、人間の営みを見れば、それがいかに不定形で、法的評価になじまないように見えても、それを何とかして堅固な秩序の論理で扱おうとする。時事ネタであれ、歴史上の出来事であれ、何であれ、ある法的カテゴリーに収めて、法的一貫性をもって論述しようと試みる。

頭脳明晰な人でも「ブレイン・フォグ」では仕事がはかどらない(Yuto photographer/gettyimages)

 法律家が最も得意とすることは、人間を人間たらしめている情緒的なものを、いったん括弧に入れて、硬質の概念の世界に落とし込んでいく荒業である。実際、こうでもしないと離婚や相続争いのような粘液質の問題は解決できないのかもしれない。

論理も展開できない「ブレイン・フォグ」状態

 弁護士は例外なく最高スペックの頭脳の持ち主であり、法の論理を展開できる。最初はどこから攻めたらいいか、途方に暮れていた書面ですら、何度も読み込んでいくうちに、おのずと反論の道筋も明らかになって、滾々(こんこん)と文章が浮かんでくる。

 次々に湧いてくる発想に身をまかせて、キーボードに指を置いてさえおれば、いつの間にか論述は進んでいく。勝手に仕事がはかどっていく過程は、弁護士にとって最も充実した時間であろう。

 ただし、これはコンディションがいい場合である。法の論理を組んでいく過程は、実のところ、脳みそから汗を流す肉体労働のようなものである。コンディションがよければ、苦にならない。むしろ、脳が自分で考えてくれる。

 しかし、コンディションが悪ければ、指は止まり、論理は頓挫する。ひとたび脳にブレーキがかかれば、30分で書き上げられたはずの書面が、何時間たっても進まない。

 脳みそが動かなくなるとき、本人の自覚としては、頭に霧がかかった感じである。俗に、ブレイン・フォグと呼ばれる。人によっては、一日に何度か、場合によっては一日中、ひどい場合、数日、数週間にわたって、このような状態に陥ってしまう。


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