2024年3月4日(月)

絵画のヒストリア

2023年8月5日

必然であった父親殺害計画

 父親のフランチェスコ・チェンチは出納官を務めた有力貴族の御曹司で、莫大な財産を持っていたが、暴力と破廉恥な色恋沙汰でたびたび投獄されては恩赦を繰り返すした。極道ぶりは次第に妻や家族にも及び、ふるまいは猟奇的な色彩を強めていく。

〈フランシスコ・チェンチの噂が高くなったのは、主としてグレゴリオ十三世の時代である。あるきわめて富裕な、彼のような信望ある殿さまには似合いの婦人と結婚したが、この夫人は七人の子供をもうけて死んだ。その死後まもなく、彼はルクレッツィア・ペトローニと再婚した。フランシスコ・チェンチについて非難すべき悪癖のなかでも、破廉恥な愛欲に対する好みはとるにたらないもので、神を信じないことがいちばんいけなかった。彼が生存中教会にはいる姿を目にしたものはだれもいない〉

 破廉恥で変態的な色恋沙汰で三度にわたって投獄された彼は、法王に籠遇されている関係者にそのたびに裏金を与えて、恩赦で釈放された。

 フランチェスコはローマのユダヤ人居住区にあるチェンチ宮で後妻のルクレッツィアや息子のジャコモとベルナルドを虐待し、実の娘のベアトリーチェに対しては性的虐待を繰り返すようになった。

 妻子の自由を奪ったうえで、悪行は下男や下女にまで及び、ベアトリーチェは義母のルクレッツィアとともに、ナポリ王国にあるペトレッラの城に隔離された。ベアトリーチェは人を介して窮状を法王クレメンテ八世に「請願書」を送っているが、これも途中で握りつぶされている。

〈すくなくとも、ベアトリーチェが投獄されてから、弁護人はこの書類がぜひとも必要だと思ったが、「請願書」調査課では、これを発見することができなかった。これがあれば、ベットラ邸でおこなわれた前代未聞の暴行を、いわば証明することができただろう。そうすれば、ベアトリーチェ・チェンチが正当防衛の立場に置かれたことは、万人のひとしく認めるところとなったではなかろうか〉

 母と謀って父親殺害の計画が立ち上がるのは、必然であったのかもしれない。

 やはり虐待を受けていた義兄のジャコモ・チェンチらを巻き込んで、ベアトリーチェは義母のルクレッツィアとともに、この暴虐な父フランチェスコの殺害を計画し、やはり迫害を受けていたチェンチ家の下男のマルツィオとペトレッラの城から追い出されていたオリンピオに実行を持ち掛けて、犯行を具体化していったのである。

22歳の娘が放った言葉

 1598年9月9日の夜、避暑先のペトレッラの城が惨劇の舞台である。

 母親のルクレッツィアが、寝室でフランチェスコに阿片を混ぜた飲み物を巧みに飲ませてぐっすり寝込んだ真夜中、示し合わせたマルツィオとオリンピオが城の中に導かれ、熟睡しているフランチェスコの寝室へ案内されたが、ほどなく戻ってきて訴えた。

「眠っている老人を情け容赦なく殺せません」

 これを聞いたベアトリーチェは激怒した。

「そう!あなたがたは腰抜けなのだから、わたくしが自分で父を殺します。けれどあなたがたのほうも、長く生かしておけませんよ!」

 22歳の美しい娘のおそろしい剣幕に二人の男は意を決し、寝室へ戻って犯行に及んだ。


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