2024年2月27日(火)

絵画のヒストリア

2023年8月5日

 直前、ベアトリーチェはまとっていた青いタフタ織のヴェールで自らに覆って、声高にイエス・キリストと聖母マリアの名を呼び続けた。見物人を含めてほとんどのローマの人々は、このいたいけで健気な美しい少女の非業の死を深く悲しみ、法王クレメンテ8世が下した無慈悲な決断に憤り、世の無常を儚んだのである。

〈小柄で、太っていることが可憐で、頬の真んなかに笑窪があり、死んでからも花に飾られると、眠っているといいたいばかりか、生存中もよく見られたように、笑っているかとさえ思われた。口もとが小さく、金髪で生来巻毛だった。死に臨んだ際、この巻毛の金髪が目もとにたれ下がっていて、それが一種の風情をなし、憐憫の情をそそった〉

少女の死は世界で描かれ、フェルメールへ

 後世の作家たちが競うように「ベアトリーチェ・チェンチの死」を描いたのは、必然であったのだろう。19世紀にスタンダールがこの小説を書き、アレクサンドル・デュマ(父)やナサニエル・ホーソンが論じた。劇作家のアントナン・アルトーやアルベルト・モラヴィアが演劇化した。日本でも戦後に久生十蘭が舞台を平安末期の日本に移して、藤原家の暴君の藤原泰文殺害劇としてこの史実を使った『無月物語』を描いている。

 さて、ここではこの悲劇の主人公のベアトリーチェをモデルにしたという一点の肖像画の由来と、今日あまりにもよく知られたフェルメールの名作『真珠の耳飾りの少女』という作品との不思議なかかわりについて、ひとつの仮説を投じてこの物語を締めくくろう。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」(1665-66年、油彩・カンバス、ハーグ、マウリッツハイス美術館蔵)

 ローマのバルベリーニ宮殿国立古典絵画館が所蔵する『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』は、死刑台へ向かうベアトリーチェの最期の姿をバロック絵画の巨匠のグイド・レーニが再現した作品と伝えられてきた。ヴェールで頭部を覆い、ゆったりとした着衣で振り返ったその表情にはまだ少女の初々しさが漂っている。勁さと果敢(はか)なさがまじりあったまなざしは、短い人生への未練を伝えるように切ない。

 同時代の図像としての〈尚似性〉という一点で、これまでしばしばこの作品と比較して論じられてきたのが、ヨハネス・フェルメールの名作『真珠の耳飾りの少女』である。

 オランダの17世紀を代表する画家、フェルメールの生涯は謎に包まれている。作品として確認されているのも現在、世界で30数点しかない。その希少なフェルメールの作品のなかでも、この『真珠の耳飾りの少女』は制作年やモデルの同定など、作品としての多くの〈ピース〉が欠落した名画である。

 フェルメールの作品は、多くが豊かな社会へ向かう当時のオランダの人々の生活の断面をとらえた〈風俗画〉と呼ばれるジャンルに属している。しかし、この少女像はそうした当時の画家の主題からも孤立している。黒だけの背景で人物を浮かび上がらせていることから、トローニーとよばれる人間の頭部を描いた習作の一種とする見方もある。

 それならば、歴史のはざまの悲劇として欧州社会に広く知られていたベアトリーチェ・チェンチの肖像を、後年の画家が印刷物などで見たイメージでそこに移し替えてみたとしても、いささかの不思議はない。振り向いた少女の涙に潤んだようなまなざし、そして「青いタフタ織のヴェール」という処刑の前の装いそのままに描かれた異国風の鮮やかなブルーのターバンは、あの『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』の前へ見る者を導くのである。

 肩越しに振り返るモデルの少女、髪に巻いた異国風のターバン、哀しみを湛えた強いまなざし……。二つの名画をつなぐものは。こうした画面の〈尚似性〉のほかにないが、チェンチ事件が放つ「アウラ」は、この二つの肖像画をつなぐ有力な〈ピース〉ではなかろうか。

   
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