2026年9月27日(日)

偉人の愛した一室

2026年9月27日

大量吐血し
人事不省の状態に

桂川のせせらぎに佇む菊屋。修禅寺参拝や、名物のしいたけを扱う店が並ぶ情緒ある温泉街を巡るのも一興だ(WEDGE以下同)

 温泉地としての修善寺は、空海がこの地にわき湯を見出して以来というから、歴史は古い。江戸時代には周辺の農家が湯治客に部屋貸しを始めて賑わったというが、大きく発展するのは1899(明治32)年、今の伊豆箱根鉄道が大仁まで敷かれ、大正末に修善寺へと延伸されてのことである。古刹の門前町は熱海や伊東と肩を並べる人気の温泉地となってゆく。

 とりわけ文人墨客がよく訪れることで知られた。この地を紹介すれば滞在費は取らない宿もあったというから、宣伝活動にも長けていたのだろう。名高いのは岡本綺堂の『修禅寺物語』で、この地に残る源氏一族の悲劇に材をとった戯曲は、1911(明治44)年に初演されて以降、二世市川左団次の当たり役となって、修善寺の名を世に広めてゆく。

 漱石が松根に伴われてやって来たのはまさにこの頃、10(明治43)年8月6日のことだった。宿としたのはこの地を代表する「菊屋」である。

渡り廊下の古写真群は、菊屋の格式ある歴史と、かつての修善寺の街並みを今に伝えている

 菊屋は、皇孫時代の昭和天皇が滞在するなど、皇族がしばしば宿泊する旅館だった。乃木希典や副島種臣ら、要人たちの名も多数伝わる。当時、修禅寺の桂川を隔てた対岸は、菊屋の敷地が多くを占めており、観光の起点となる渡月橋の前に本館が表門を構え、御成門を備える広壮な別館が川に沿って広がっていた。

当時の面影を残す館内を歩けば、漱石が訪れた時代の様子が分かる資料を楽しむことができる

 いま、かつての別館を中心に営業されているが、菊の紋章を掲げる正面から入ると、広い館内は渓流を巧みに取り込んで配置がなされ、往時の繁栄を偲ぶに十分な豊かさを残している。随所に歴史が感じられることも格別な風趣を添える。

漱石が訪れた当時の面影を残す「梅」こと「漱石の間」。本館2階の最奥に位置するこの部屋は静寂に包まれており、東西の窓に広がる瑞々しい緑と、部屋を通り抜ける心地よい風を堪能できる

 漱石が訪れた際、宿では相応な部屋が用意できず、予約客の了解を得て別館の「梅」に案内する。この部屋がいまも「漱石の間」として来訪客を招き寄せている。

「漱石の間」の南側の広縁は、湯上がりの余韻に浸る格好の特等席だ

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