当たり前に買って、食べているコメだが、実は田植えや、稲刈りといった稲作をしたことがないという人も少なくないだろう。『食育白書』(農林水産省、2024年度版)によれば、「家族の中で農林漁業体験に参加した人がいるか?」というアンケートに対して「いる」と答えたのは57%で、近年減少傾向が続いているという。
ただ「農業体験」がないというのは、今に始まったことではない。正岡子規は『墨汁一滴』の中で、学生時代、夏目漱石との思い出をこう綴っている。
「余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ往たが大方六月頃の事であつたらう、そこらの水田に植ゑられたばかりの苗がそよいで居るのは誠に善い心持であつた。この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかつたといふ事である」(青空文庫より)
伊予松山生まれの子規と、東京生まれの漱石。だが、漱石の生まれ育ったのは牛込喜久井町。このすぐ側は早稲田で、その名の通り、明治時代には田んぼがあった。
つまり、漱石が都会生まれだったから、コメが苗(稲)の実だと知らなかったというわけではない。恥じらいもあったろうが、知らないことを「知らない」というのは、漱石の謙虚さだったのではないだろうか。
1960年、日本の農業就業者数は1273万人、全産業就業者数に占める割合は約30%にも達していた。それが今や181万人、2.7%にまで減少している。稲作の現場を取材していると「米高騰」に対して、異口同音に「これまでが安すぎた」という答えが返ってきた。
それには「稲作農家が儲けたいからだ」という意見もあるが、それほど稼げる産業であれば、これほど従事する人が減ることもないのではないかと思う。昨年来の「米騒動」で、「コメが高すぎる」という批判が起きたり、悪者探しが起きたりした。だが、漱石風に言えば、「現場で何が起きているか分からないから判断できない」という態度があっても良かったのではないか。
