天正5年(1577年)11月、但馬国での羽柴秀長の攻囲の末に太田垣輝延の竹田城が開城。太田垣氏は但馬の守護代の家柄で、竹田城は「天空の城」として有名な、あの竹田城だ。
秀長はこの時に城代となっているから、この天空の城から見下ろす雲海の絶景を楽しんだ事もあっただろう。羨ましい。
そして竹田城の制圧は、南方の生野銀山確保という目的もあった。太田垣氏はその支配権を持って代官を置くなどしていたのだ。
かつて信長は但馬を攻めた際に堺の豪商・今井宗久に生野銀山の支配を任せたりしたが、地元のつながりの深い太田垣氏らのサボタージュによって不成功に終わっている。その収益システムをこの機に完全稼働させようというのだ。
このあたりの経緯は過去の本連載の秀長回で触れたので詳しくは触れないが、問題はこの但馬国の西隣りの因幡国が中国地方の覇者・毛利氏の支配下にあったことで、但馬の反織田勢力はそれを背景にしてしぶとく地味な不服従を続けたのである。
ドラマでの秀長は竹田城の水汲み兵に扮して輝信を虜にして城を陥れていたが、実際に秀長が竹田城の水の手(水源)を断って降伏に追い込んだという伝承もある。
竹田城には複数の井戸・湧き水があり、豊臣時代以降に井戸の整備強化が行われたとしてもそれ以前は湧き水だけで賄っていたとも考えづらい。なにせ竹田城は大切な生野銀山を守るための城なのだから。
それを考えると水の手がすべて遮断されたというのもおかしな話なのだが、仮に本当だとすると、城外では水売りが秀長軍の包囲網を突破して出入りしていたかもしれない。
