2026年6月21日(日)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2026年6月21日

 「墨俣一夜城伝説」に触れて、その土地が如何に潤っていたか、いかに地理的に大切だったかを前回「戦国時代の寝返り調略にはいくら必要だったのか?豊臣兄弟が一夜で建てた「墨俣砦」の真実」で解説したところで、「ではその墨俣に砦を築くのにいくらかかったの?」という、本連載にとって最も重要で根源的な深淵高邁な命題に関わる問題を避けて通る訳には行くまい。

NHKホームページより

 とはいっても、参考にできる資料は少なく、何かと曰く付きの『前野家文書』『武功夜話』ぐらいなのだが、他に無いものはしょうがない。なるべくリアルな感覚で照合して考察しよう。

どれだけ人手を割いたか

 とりあえず諸元を並べていく。まず人員だ。

 木材を切り出して長良川へ運ぶのは前野長康隊312人、稲田植元656人、日比野六大夫隊250人、蜂須賀正勝隊133人とある。

 続いてこれを受け取り筏(いかだ)に組んだり舟に積んで長良川の下流の墨俣へ運ぶ役は八曾衆・七曾衆・山方衆の568人。これに船頭123人と大工棟梁26人が加わる。大工の棟梁がいればその下で働く大工がいるはずなのだが、棟梁の内10人の下には山方衆が附けられたと書かれているだけだ。

 しかし、いくら棟梁の頭数だけ揃えてもその下に腕の良い大工がいなければ一定の防御機能や強度を備える超高速砦ビルドなんてどう考えてもできる訳はない。だから、各棟梁の下に10人、計260人の腕利き大工がいたとしておく。山方衆はそれを補佐する作業員というところだろう。


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