2026年7月31日(金)

Wedge REPORT

2026年7月31日

 「八田與一の存在を初めて知ったのは、1981年3月18日、高雄日本人学校の卒業式の日でした。交流協会高雄事務所の出田政夫所長が来賓祝辞の中で、こう言ったんです。

 『日本人技師の銅像がたった一つだけ、嘉南の人たちの手で現在も守られていることを知っていますか。卒業される皆さんは、八田技師のように現地の人々からも慕われ、尊敬される立派な日本人になってください』

街道をゆく 40 台湾紀行
司馬 遼太郎 (著) 
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 初めて聞く話でした。しかも、高雄の日本人会で聞いても誰一人として、與一のことを知らなかったのです」

古川勝三氏(WEDGE)

 古川勝三氏は当時をこう振り返る。すぐさま「烏山頭ダム」に向かった。

 「現地の人たちは、温かく受け入れてくれた。しかも、日本の教育を受けてきた人が多かったから、『日本語でやろう。しゃべりたかったんだ』『あなた、日本人なら〝日本精神〟を持ってるだろう』と言われ、何も言えず困り果てました」と回想し、こう続ける。

 「1944年に生まれた私はずっと、『日本人(軍)はアジアで悪いことをしてきた』という教育を受けてきました。それなのに、『八田さんのおかげ』『日本人のおかげ』と現地の人たちは言うのです。教育と現実の違いに、頭の中が本当に混乱しましたね」

 それから2年間、毎週末「烏山頭ダム」に通い続けた。聞き取りはほぼ、日本語でできるという幸運にも恵まれた。現地の人々は「自分たちが車で送り迎えしてあげるよ」とまで言ってくれるようになった。やがてその成果は高雄日本人会が発行する『月刊高雄日僑会誌』に連載され、83年に『台湾を愛した日本人』を台湾で出版した。日本に帰国後、古川氏は大幅加筆し、89年に日本語版を出版。気づけば原稿用紙3000枚を超える大作となった。


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