出版後の反響も大きかった。
「『うちの父が八田さんのもとで働いていた』『八田さんはこんな人だった』と、様々な手紙が寄せられ、次々と新事実が明らかになりました」
取り上げられない光の部分
そして転機が訪れる。司馬遼太郎が『週刊朝日』で連載中だった「街道をゆく」の中で、「八田與一のこと」「珊瑚潭のほとり」として、取り上げてくれたのだ。さらに古川氏は2000年、「八田與一シンポジウム」に登壇した際、「台湾の松下幸之助」と称される実業家で、奇美実業の創業者かつ大の親日家でもある許文龍氏と出会う機会にも恵まれた。古川氏はこう話す。
「どの国の歴史にも光と影がある。しかし、日本の場合、光の部分をほとんど取り上げず、多くの日本人が知らないままです。日本の教育界やマスメディアはいったい何をしてきたのでしょうか。実にもったいないですね」
82歳の古川氏には書き残した人がまだ10人いるという。長時間にわたる取材にも夫人とともに淀みなく答えてくれ、日台の絆が一層深まることを誰よりも願う「熱き人」だった。
