2026年8月30日(日)

偉人の愛した一室

2026年8月30日

 東京浅草の名物は数あれど、この伝説の酒場を抜きには、その歴史を語るのは難しかろう。

 世界を沸かすアニメ『鬼滅の刃』の主要な舞台は大正デモクラシーに沸く浅草である。当時、浅草ロック(六区)で活動写真を観て、その興奮を胸に「神谷バー」で一杯十銭の電気ブランを呑む、それがちょっと気取った若者の遊び方、つまり流行の最先端だった。日本のモダニズム文化の一丁目一番地、いまも多くの外国人を集める浅草のランドマークは、日本のワイン王と呼ばれた男が作り上げた洋酒の殿堂だった。

 1880(明治13)年、浅草で酒の一杯売りから商売を始めた神谷傳兵衛は、翌年、輸入ワインに蜂蜜を加えた加工酒を売り出した。その甘い口あたりが大人気となると、勢いに乗ってブランデーに様々なリキュールを加えたカクテルを考案して販売する。「電気ブラン」の誕生だった。まだ江戸の名残りが濃い猥雑な下町、一杯で酔える手軽な洋酒に人々は群がった。

 一代で財を成した神谷は、97(明治30)年に念願のワイン造りに乗り出す。横浜の洋酒醸造所で働いていた若き日、原因不明の体調不良に苦しんだ神谷は、フランス人経営者からワインを勧められて救われた経験があった。以来、ワイン造りの夢を追い続け、ブドウの栽培からワイン醸造、瓶詰めから出荷までを扱う日本初のワイン施設「牛久シャトー」を娘婿とともに造り上げてゆく。初出荷は1903(明治36)年、神谷48歳のことだった。

 その後、老齢に至って健康を害した神谷は、61歳の折、千葉の稲毛に保養のための別荘を建設する。千葉で最初の海水浴場が設けられた稲毛は、東京から二路線の鉄道が敷かれたこともあって、多くの別荘や保養所も立ち並んで賑わった。その中心となる「海気館」には森鷗外、島崎藤村、田山花袋らも訪れている。神谷が別荘を得たのはその隣接地、海の見える高台の一等地だった。

1984年に千葉市へ譲渡され、「千葉市民ギャラリー・いなげ」の敷地に悠然と佇む旧神谷傳兵衛稲毛別荘。その隣には神谷の頃から変わらぬ松が枝を伸ばし、かつてこの場所が海を望む保養地だったことを物語っている(WEDGE) 写真を拡大

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