神谷の想いが息づく
海風そよぐ洋館
現在の稲毛は海岸が広く埋め立てられて建物が立ち並ぶ。別荘の建つ高台や海沿いを走った国道は海岸から離れ、もう海を臨むことはできない。かつて洋館、和館ほか4棟があった神谷邸は、いま、来客用の洋館のみが遺されている。地上2階、半地下1階の鉄筋コンクリート造りは、外観は白タイル貼り、1階正面に5連アーチをかけてピロティとし、モダニズム建築への移行を感じさせつつも、ロマネスク様式を色濃く残す優美な姿をとどめる。
1階は広い玄関ホールと、その右手が応接室になっている。広さ12畳ほど、大理石造りの暖炉や組み木の床が建築当時のまま残されている。外開きの窓からべランダに出れば、かつて、眼の前に海が広がっていただろう。床は英国製のタイル貼りで、野外テーブルが置かれる光景は、まさに保養地の別荘の佇まいである。
玄関ホールから、欅の一枚板を踏み板にした螺旋階段を上がると、2階は一転、書院造りの空間となる。12畳の主室と付属の広縁、控えの8畳間があり、ゆったりとした和の世界が広がる。
主室は、煤竹を惜しげもなく用いた独得の折上げ格天井、広縁との仕切りに高級材の鉄刀木を使った猫間障子が入り、一枚板をくり抜いた木瓜窓も設けられている。欄間には下地窓が切られるのだが、よく見ると、下地の竹格子にブドウの蔓が巻き付けられている。これは神谷の頃そのままだという。
南と東に回される広縁は8畳と6畳の畳敷き、縁というより二の間、三の間の趣がある。外窓は観音開きの洋窓なのだが、内側に障子が立てられているので外観のロマネスク様式が損なわれることはない。広縁の交わる隅はタレットが張り出して、これも外観への配慮が見られる。
だが、この書院で眼を奪われるのは床廻りだろう。畳4枚が敷かれた二間床に真の框、付け書院の飾り障子には細工格子が使われる豪勢な造り。床脇には天袋、地袋、違い棚が備わり、加えて、絞り丸太が見事というほかない床柱は、驚くなかれ、ブドウの古木なのだという。
その太さからおそらくは外国からもたらされたものだろうが、思い出すのは神谷のワインへのこだわり。
それは邸内の随所にデザインされ、欄間の蔓のほか、付け書院の欄間にブドウの透かしが彫られ、玄関ホールの天井にはブドウをデザインしたレリーフが埋め込まれていた。日本のワイン王の思い入れが詰まった館、それがこの別荘なのだった。
神谷が世を去った翌年、関東大震災が首都を襲い、浅草の街の7割が焼失した。だが、堅牢な造りだった神谷バーは倒壊をまぬかれ、この別荘もまた揺るぐことはなかった。その後に主人が入れ替わり、時に連合国軍総司令部(GHQ)による乱暴な接収を受けつつも、神谷の愛したそのままが遺されているのは、選び抜かれた資材ゆえばかりではないだろう。
神谷は日に一里も浜辺を散歩し、時に網を投げて漁をした。今、2階の眺めはマンションに遮られているが、開け放した窓からは確かに海風が感じられた。偉人たちの愛した保養地稲毛の記憶は、わずかにこの別荘に遺されていた。
