2026年7月31日(金)

台湾「麗しの島」の実像

2026年7月31日

 1895年6月17日。この日から台湾の日本統治時代は始まった。日清戦争に勝利し、同年4月17日に下関条約が締結された。これにより、台湾・澎湖諸島・遼東半島が清国から割譲された。遼東半島は三国干渉によって返還を強いられたが、台湾と澎湖諸島はその後、半世紀にわたって日本の領土に組み込まれた。

総統府は台湾の最高統治機関。日本統治時代の台湾総督府庁舎が現在も使用されている。中央塔の高さは60メートル(YOSHIFUMI KATAKURA)

 台湾は日本史上、初の国際条約を経て得た新領土であった。当時、すでにアフリカやアジアの大半は欧米列強の支配下に置かれ、江戸時代の鎖国を終えて国際社会の舞台に出た日本は脅威に晒されていた。世界は東洋の新興国である日本がこれからどのように台湾を統治していくのか、注目していた。

 領台当初、統治の根幹として4つの軸が存在した。それは治安の維持、衛生事情の改善、教育の普及、そして調査事業だった。

 

後藤新平は1898年から8年間、台湾総督府の民政長官(当初は民政局長)を務めた。若き人材に機会を与え、その仕事を貫くことで才能を開花させるという手法を取った(北白川宮殿下台臨記念写真帖)

 調査事業を強力に進めたのは台湾総督府民政長官の後藤新平だった。後藤は第四代台湾総督・児玉源太郎の下で数々の制度を整えた。台湾の実情を把握し、それに合わせた統治を模索した。そのため、土地調査と旧慣調査を徹底的に進めた。具体的には、法規の整備、専売制度による財源の確保、上下水道の整備、縦貫鉄道敷設、製糖事業をはじめとする産業開発など枚挙に暇がない。台湾経営の基礎はこの時期に固まった。


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