台湾に根付き
人々に守られる建築遺産
台湾では日本統治時代の建築遺産の保存と研究が熱心に行われている。官庁建築をはじめ、数々の老家屋・古民家が史跡として扱われ、リノベーションを経て再生される事例が数多く見られる。
日本統治時代の建築物は現在、公共性を帯びているものについては、多くが文化財指定を受けており、行政による保存対象となっている。いずれも台湾における「歴史の証人」として扱われ、客観的な目線で考察されている。
人々の生活環境も日本統治時代の影響を大きく受けている。亜熱帯という土地柄、台湾の建物は風通しが重視されており、疫病の蔓延を防ぐべく、衛生管理と上下水道の整備は徹底していた。
また、シロアリ対策は台湾総督府が総力を挙げて研究したものだった。そして、安価で量産が可能なセメント瓦も開発され、耐火構造や消防施設の整備も進められた。さらに防暑や風通しなど、居住環境の向上も図られ、これらは台湾の地に息づいている。
外来政権による統治には負の一面は避けられず、台湾の人々もそういったものを忘れてはいない。
しかし、暮らしの中で日本統治時代というものが何らかの形で関わっているなら、客観的な評価に努め、その時代を生きた人々を「先輩」ととらえようとする。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の際、台湾から送られた義援金は公的なものだけでも253億円に達した(14年末の集計)。また、エバー航空の創設者である故・張栄発氏はポケットマネーで10億円を被災地に寄付した。そして、庶民からは金銭のみならず、自作の応援メッセージが動画で数多く投稿されたことも記憶に新しい。
その背景を考えると、日本人と台湾人がともに暮らした半世紀とは何だったのかという部分に行きつく。短絡的な評価は避けるべきだが、日本人が遺した建築物や産業施設などが台湾の人々によって守られ、検証され、生かされているという状況はそれらを如実に示しているように思えてくる。
筆者が故・李登輝元総統を取材した際、こうした状況について、「価値観を共有できる友人への思い」と表現していた。そして、「必ずや日本は震災から復興する。その先には日台双方の次世代が感じるものがあるはず。それこそが絆というものではなかろうか」と語っていた。
こういった価値観や精神を育て上げ、広げていくことの意味は計り知れない。07年1月5日に営業を開始した台湾高速鉄路(台湾高鉄)は台湾の南北を結ぶ大動脈となっているが、工事に関わった人々は「日本と仕事ができてよかった」と口々に語っている。
職務を全うし、自らを律しながら、責任を確実に果たしていく。仕事に一切の妥協をしない日本人スタッフの働きぶりは工事が終了した後にも語り継がれている。そういったものを育てあげ、ともに磨きあっていくことが日台双方にとって最も重要なことなのかもしれない。
日本統治時代の半世紀、そして現在。それらを見つめていく中で、日本人は多くのことを感じ、学ぶはずである。台湾を訪ね歩くことで発見できることは少なくない。
