2026年7月31日(金)

台湾「麗しの島」の実像

2026年7月31日

台湾に息づく
日本統治時代の建築遺産

 日本統治時代の半世紀、日本は台湾で数多くの建造物やインフラ基盤を設けた。これらは戦後も台湾の発展を支え、現在もなお、使用されているところもある。

 台湾の建築様式は多彩で、特に欧米諸国から訪れた人々は「なぜ台湾にはこれほど多くのスタイルが混在しているのか」と感嘆の声をあげる。確かに台湾土着の様式、中国大陸南部から入ってきた建築、漢人系住民の移入前から台湾島に暮らす原住民族の建築文化が存在する中、日本統治時代には日本の建築文化と西洋建築がもたらされ、それぞれが融合していった。

台北賓館。日本統治時代に台湾総督官邸として建てられた。現在は迎賓館として使用されている。裏手には広大な庭園が広がる(YOSHIFUMI KATAKURA)

 西洋建築だけを見ても、フランス風バロックの台北賓館(旧台湾総督官邸)、スパニッシュ・コロニアルの台北市二二八紀念館(旧台北放送局)、ドイツ風建築の新竹駅、近代折衷様式の司法大廈(旧台湾総督府高等法院) など、多種多様な建築様式が見られる。これに加え、日本が持ち込んだ和風建築があり、亜熱帯の気候に合わせ、改良が施された。

台北市二二八紀念館。ラジオ放送局として建てられた。明るい色合いの壁面と大きな窓が特色。屋根には瑠璃瓦も見られ、東洋趣味が感じられる(YOSHIFUMI KATAKURA)

 官庁建築は現在も使用されているものがある。この時代の建築は壮麗さと重厚感を併せ持つ外観が特色とされ、台湾もその例外ではなかった。1840年のアヘン戦争以来、欧米列強が東アジアを狙う状況下で、新興国の日本は国力を誇示するべく、西洋の建築様式を取り入れていった。新領土・台湾でも、日本はあえて西洋建築を自力で設け、文化力と技術力のアピールを図ったのである。

 同時に、赤煉瓦造りや石造りの建築は地震に弱いという議論も起きていたため、耐震構造の研究も急務だった。そして、台湾は新領土であり、近代都市の設計をゼロから実験できるフィールドでもあった。そのため、技術者たちは本土ではできない最先端の試みを台湾の地で行うことができた。耐震以外にも都市計画や衛生管理、腐食対策、風通しなどの研究が進められた。こうした「実験の場」という位置づけも見落としてはならないだろう。


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