韓国政府は国軍防諜司令部を解体して、3つの任務に分割した組織に再編することを閣議決定した。韓国独特の政軍関係を象徴する軍防諜機関は、北朝鮮との対立を背景に全廃されることはなかった。同様に国防部は陸海空士官学校を統廃合する一次案を示したが、士官学校OBは強く反発している。
韓国独特の政軍関係は形を変えて継続か
韓国軍の防諜機関である国軍防諜司令部(防諜司)が7月31日付で解体され、後継組織として国防防諜本部と国防保安支援団が創設される。政府は7月21日の国務会議(閣議相当)で、国軍防諜司令部令廃止令案など5件の大統領令案を審議・議決した。
北朝鮮のスパイ活動への対処や国防サイバーセキュリティーなど防諜業務は国防防諜本部、軍人などの身辺調査や保全事故の処理など軍事保安は国防保安支援団、内乱や外患の捜査やクーデター防止など安保捜査と戒厳時の合同捜査権は軍事警察(旧憲兵)を所掌する国防部調査本部が引き継ぐ。一方で、軍内の動向調査や高級将校の世評収集など「権力型」の任務は廃止された。防諜本部と調査本部の監察室長には外部の高位監査公務員が当てられる。
この組織の淵源は韓国軍の建軍期にさかのぼる。1948年5月に朝鮮警備隊情報処へ置かれた特別調査課が母体で、麗水・順天事件を機に粛軍を担い、朝鮮戦争中に特務部隊として独立した。元日本陸軍の憲兵軍曹だった金昌龍が指揮した際、李承晩大統領との蜜月関係を築いた。77年に陸海空の防諜部隊を統合した国軍保安司令部へと拡大する。
軍事政権期の保安司令官は大統領への直接報告を重ね、軍の内外に影響力を及ぼした。保安司令官だった全斗煥(後の大統領)は、保安司の情報力と捜査権を基盤に12・12クーデターを主導し、政権掌握へつなげた。
次の大統領である盧泰愚も保安司令官から大統領に駆け上がった。以降、91年に国軍機務司令部、18年に軍事安保支援司令部、22年に国軍防諜司令部と看板を替えたが、権限の実質は大きく縮まなかった。

