「最悪のワールドカップだ。本当にひどすぎるよ」
サッカー北中米ワールドカップ(W杯)のグループリーグを終えたイラン代表の主将メフディ・タレミが発したこの言葉は、敗退したチームの悔しさだけを表したものではない。彼らが怒りを向けた相手はニュージーランドでもベルギーでもエジプトでもなく、大会運営そのものだった。
最終成績は3試合3引き分け。勝ち点3でグループ3位となり、決勝トーナメント進出はあと一歩で逃した。
しかし、この数字だけでイランの大会を評価することはできない。彼らは大会期間中、「試合以外」と戦い続けた唯一と言っていい代表チームだった。
大会直前まで続いた「出場」への不安
異例の状況は大会前から始まっていた。今年2月以降、米国とイスラエルを巡る軍事的緊張が高まり、イラン国内ではW杯参加そのものが危ぶまれる事態となった。
イランサッカー連盟のタジ会長やスポーツ大臣は「参加は困難」「あらゆる状況を考えれば出場は難しい」と発言。一時は4大会連続となる本大会出場を自ら断念する可能性まで取り沙汰された。
最終的には国際サッカー連盟(FIFA)の仲介もあって出場自体は認められたものの、混乱は収まらなかった。選手への米国ビザ発給は大幅に遅れ、チームの準備は予定通り進まない。さらにスタッフの一部には最後までビザが下りず、本大会に帯同できないという異例の事態まで発生した。
本来、イラン代表はアメリカ・アリゾナ州ツーソンにベースキャンプを設置する計画だった。しかし大会開幕まで3週間を切った5月下旬、この計画は急きょ変更を余儀なくされる。新たな拠点として与えられたのは、メキシコとの国境都市ティフアナだった。
ここから試合の度にアメリカへ越境する生活が始まる。しかも選手だけではない。チーム運営を支えるロジスティクス担当など10人以上のスタッフには米国ビザが発給されず、本来なら代表活動を支えるはずのサポート体制が大きく欠けたまま大会へ臨むことになった。
